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【話の肖像画】漫画家・水野英子(79)(1)運命を決めた手塚作品

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トキワ荘通りお休み処でサインに応じる=10月21日、東京都豊島区(鵜野光博撮影)
トキワ荘通りお休み処でサインに応じる=10月21日、東京都豊島区(鵜野光博撮影)

 〈10月21日、東京都豊島区の「トキワ荘通りお休み処」で行われたサイン会には、遠くは青森市などから多くのファンが訪れ、水野英子さんに握手を求めた〉

 私が「星のたてごと」を描いたのはもう60年近く前なのに、「当時読んでいた」と古い本を持ってきていただいたのは感激しました。私が手塚治虫(おさむ)先生の本を大事に取っているのと、同じなのでしょうね。

 〈漫画家を志したのは小学3年のとき。手塚作品との出合いがきっかけだった〉

 私の家の向かいに、貸本屋さんがあったんです。当時は学校から帰ってかばんをほうり出したら、即、10円を握って貸本屋へ駆け込むという生活でした。とにかく本が好きで、少年少女向けの名作はほとんど読んでいました。ある日、1センチに満たない薄い本が並んでいる貸本屋の本棚に、1センチ5ミリぐらいのかなり厚い本がありました。何だろうと思って手に取ったのが、手塚先生の「漫画大学」でした。

 〈「漫画大学」は西部劇、おとぎ話、ミステリーの中短編と4コマ漫画の実作を交えながら、読者に漫画の描き方を教えるスタイルの作品だ〉

 貸本屋には他に漫画もあったのですが、少年ものは活劇が主で、必ず正義が勝つという紙芝居的なお話。少女ものは継母にいじめられる悲しい少女の物語などで、どちらも外国文学ほどの深みが全くなかった。ところが「漫画大学」は絵はかわいらしくて緻密で、これだけ多くのジャンルを描きこなす作家は見たことがなかったし、ジャンルの特徴も生かし、ラストにはメッセージが込められている。頭をガンと殴られる衝撃があり、読み終わったとたんに「私は漫画家になる!」と思ったんです(笑)。

 〈漫画の独学を家族が支えた〉

 雑記帳に絵や文章を書き続けていましたが、5年生ぐらいの頃からペンを使って描くことを始めようと思いました。兄が学校で美術系の部に入っていたようで、「漫画大学」を見せて相談したら、自分が持っていたペン先を貸してくれ、足りない文具も買ってくれました。とてもいい兄でした。ペンの練習を2年やって、本格的に雑誌に投稿を始めたのは中学に入ってからです。

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