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【門井慶喜の史々周国】尾山神社 金沢市 古代と近代、異色の二重構造

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前田利家と妻のまつをまつる尾山神社。鳥居とその向こうに意匠が凝らされた神門がそびえる=金沢市(筆者撮影)
前田利家と妻のまつをまつる尾山神社。鳥居とその向こうに意匠が凝らされた神門がそびえる=金沢市(筆者撮影)

 煉瓦(れんが)ふうの石積み。アーチ形の開口部。銅板張り。あざやかな五色のステンドグラス。

 その写真をじっと見ていると、脳裡(のうり)には、西洋建築の用語ばかりが浮かぶ。けれども実際、その建物は、キリスト教ではなく、東京駿河台のニコライ堂のような正教会でもなく、何とまあ神社の神門(しんもん)にほかならなかった。伝統中の伝統宗教。

 なんで神社が西洋ふうに、という疑問もさることながら、そもそも「神門」とは何なのだろう。元来、この手の宗教施設には、

 --鳥居。

 という名のりっぱな入口があるはずだ。わざわざ屋上屋を架すような、いや、この場合は門内門を置くような行為にどんな理由があるのか。よしんば入口がふたつ必要であるにしても、一の鳥居、二の鳥居とやる手もあるはず。…こういうときは現物と会うに如(し)くはない。私は愛用の講談社刊『日本近代建築大全 西日本篇(へん)』をばたりと閉じ、家を出て、京都駅で特急サンダーバードに乗りこんだ。特急の車内は混雑していた。金沢はあいにくの雨だった。

 尾山神社へ直行すると、そこにはやはり、鳥居が、(あった)

 何かしらほっとするものを感じつつ、鳥居をくぐり、神門をくぐり、入母屋造(いりもやづくり)の拝殿の階段をのぼり、二礼二拍手一礼をする。

 それから体をうしろへ向ける。境内がひろびろと眼下におさまる。そこには露店のたいやき屋があり、狛犬(こまいぬ)があり、石灯籠があり、手水舎(ちょうずしゃ)があり…要するに、そこは神社だった。

 神門がふしぎと違和感がなかったのは、天気が原因だったかもしれない。晴れの日ならばステンドグラスが原色の光をふりまいた可能性があるからだが、よりいっそう根本的には、おそらくは、門そのものの古びのせいだった。神門の完成は明治八年(一八七五)。いわゆる近代建築としては、きわめて早い作例である。

 ただし尾山神社そのものは二年前の明治六年、こちらは意外なほど遅い。ここの祭神はほかならぬ加賀藩藩祖・前田利家とその妻まつだというのに、

 --徳川時代には、祀(まつ)らなかったのか。

 その疑問も、おのずから浮かぶだろう。

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