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【東京・地名研究室】太子堂(世田谷区) 聖徳太子由来の学びの地

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東急電鉄三軒茶屋駅から徒歩15分ほどの円泉寺にある太子堂。聖徳太子を祭っているお堂で、太子堂の地名はこのお堂に由来しているといわれている=世田谷区太子堂、円泉寺
東急電鉄三軒茶屋駅から徒歩15分ほどの円泉寺にある太子堂。聖徳太子を祭っているお堂で、太子堂の地名はこのお堂に由来しているといわれている=世田谷区太子堂、円泉寺

 住みたい街ランキングで常に上位に並ぶ世田谷区の三軒茶屋。古くからの名画座や飲み屋の並ぶレトロな街であり、おしゃれなイメージがある。若者の間での通称は「サンチャ」。その近くに、渋い地名も存在する。それは「太子堂」だ。

 作家、林芙美子は不遇時代にこの地区に住み、昭和初期の代表作「放浪記」で「墓地と病院と、安カフエーに囲まれたこの太子堂の暗い家もあきあきしてしまった」と寂しい情景を書いている。

 ただ、明治時代には世田谷の近代的教育制度の出発点となった地であり、さらにさかのぼれば聖徳太子の名前が地名の由来。「世田谷の地名」(世田谷区教育委員会)などを基に、時代を豊臣秀吉の世にまでさかのぼってみよう。

 同区太子堂3丁目にある円泉寺は文禄4(1595)年、大和の久米寺(奈良県橿原市)から布教にきていた賢恵(けんけい)和尚によって創設された。賢恵和尚は聖徳太子像と十一面観音像を背負って関東を下っていた途中、この地に来て一泊した際、夢に聖徳太子が現れたという。

 「此地に霊地あり。円泉ケ丘という。恒(つね)に霊泉湧き出ず。永く之に安住せん。汝も共に止(とどま)るべし」

 このお告げを受けて賢恵和尚が本堂と聖徳太子堂を建てたのが、円泉寺の由来とされている。今は泉は湧き出ていないが、名前の通り、この辺りはかつて霊泉の湧き出る清浄な地だった。また、太子像は難病を治す霊験があるといわれ、参詣する人でにぎわったとされる。

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