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大太刀、大鎧、香道具…もはや再現不可能の職人技の数々 長野・真田宝物館

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幸貫はこの「緋絲縅大鎧」をまとい、実際の戦場に出たわけではない。見目がいくらか華やかなのは、平安時代から室町時代の鎧が模範とされたためで、「復古調の大鎧」と評される
幸貫はこの「緋絲縅大鎧」をまとい、実際の戦場に出たわけではない。見目がいくらか華やかなのは、平安時代から室町時代の鎧が模範とされたためで、「復古調の大鎧」と評される
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 天下分け目の決戦と後世、評される関ケ原の合戦で、西軍に加勢した父親である真田昌幸と弟の幸村とは立ち位置を異にし、徳川家康率いる東軍にくみした信之は元和8(1622)年、信州・松代に移封され、真田家はそれ以降、江戸時代を通してこの地で存続し、幕末には8代藩主の幸貫(ゆきつら)が老中となっている。

 ここには真田家に代々伝わってきたよろいとかの武具や、家康をはじめ、武田信玄、豊臣秀吉、石田三成らの書状など往時をしのばせる貴重な資料が5万点ほど所蔵されている。

 中でも昭和26年に国の重要文化財に指定された「青江の大太刀(おおだち)」は、延文6(1361)年の作だというから、南北朝時代まで遡(さかのぼ)る。勇ましい由縁があって、天正3(1575)年の長篠の戦いで、武田勝頼方について戦った信綱の持ち物だったという。信綱は昌幸の兄に当たる。

 溝辺いずみ研究員は「この戦いで信綱が実際に使っていたといわれています。刃にある大きな刃こぼれが戦いの激しさを思わせる」と話す。

 だが、残念なことに今は展示されていない。なにせ約5万点もの所蔵品があるので、展示品は3カ月ごとに入れ替えをしているそうだ。

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