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【千田嘉博のお城探偵】キリスト教布教の時代と平戸城 近世へ…変化を乗り越えて

 鎮信のあとをついだ松浦棟(たかし)は1703(元禄16)年に幕府に平戸城の再築を願い出て許された。棟は1704年から工事を進め、現在見る平戸城が完成した。再築平戸城は焼失した日ノ岳城を基本にして、出入り口などの細部を修正した。城は藩主屋敷がある二の丸が実質的な中心で、本丸は独立した要塞を構成した。このため、本丸と二の丸は分立的だった。

 つまり現在見る平戸城は本丸に三重櫓(やぐら)が建ち、出入り口は信長・秀吉にならった枡形(ますがた)を備えたが、中世の松浦党の城づくりも色濃く残していたのだった。

 平戸と松浦氏にとって成功体験の中世から、近世に変わるのは厳しい選択だったに違いない。私たちもグローバル化や人工知能(AI)の発達、少子高齢化など、恐ろしい変化に直面している。平戸城は時代の変化についていくのがいつも大変で、でもそれを自分らしく乗り越えていった歴史を、私たちに示してくれていると思う。

 

 城郭考古学者の千田嘉博・奈良大教授が、お城の歴史や魅力、秘密をひもときます。

【用語解説】平戸城

 松浦鎮信が三方を海に囲まれた現在の城地に日ノ岳城を築くものの、1613(慶長18)年に自ら破却。その後、江戸幕府に再築の許可をもらい、1718(享保3)年に完成。明治に入り、廃城令で北虎口門などを残して主な建物は解体。1962(昭和37)年、沖見櫓の場所に鉄筋コンクリート造りの模擬天守などが建てられた。

【プロフィル】千田嘉博(せんだ・よしひろ) 昭和38年、愛知県生まれ。奈良大文学部卒、大阪大学博士(文学)。国立歴史民俗博物館助教授などを経て、奈良大教授。平成26年4月から28年8月まで学長も務めた。専門は城郭考古学。27年、浜田青陵賞受賞。NHK大河ドラマ「真田丸」で真田丸の復元考証を担当した。

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