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【千田嘉博のお城探偵】キリスト教布教の時代と平戸城 近世へ…変化を乗り越えて

港を一望する高台にある平戸城。1962(昭和37)年に造られた模擬天守(左)の場所には、かつて沖見櫓があった(筆者撮影)
港を一望する高台にある平戸城。1962(昭和37)年に造られた模擬天守(左)の場所には、かつて沖見櫓があった(筆者撮影)

 国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産委員会は今年6月、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」を世界文化遺産に登録した。登録を記念して、お城探偵でも今回から2回にわたり、城からキリスト教の時代を考えたい。第1回は長崎県平戸市の平戸城を探偵する。

 同市は平戸島とその周辺からなる。平戸城は港を一望する高台にあり、城からは周辺の島へと出航するフェリーを遠望できる。そうした景色を眺めながら、戦国時代から近世初頭の平戸を思い浮かべてみた。

 当時、平戸は日本屈指の国際貿易港だった。1542(天文11)年に平戸を治めていた松浦隆信は中国商人の王直に屋敷を与えた。王直は2千人の配下を従え、数百の船を指揮した海商だったという。

 1550(天文19)年には王直の仲立ちでポルトガル船が平戸に入港し、1609(慶長14)年には東インド会社がオランダ商館を建設した。この商館は1641(寛永18)年に江戸幕府の命令で長崎の出島へ移転するまであり、現在は国史跡として石造の倉庫「平戸オランダ商館」を復元している。日本にキリスト教を広めたフランシスコ・ザビエルは、1550年に平戸で布教した。こうした平戸の繁栄と国際性は、領主の松浦氏が海の領主であり、国境を超えた世界を熟知していたから実現した。

 この松浦氏は中世から一族による「松浦党」と呼ぶ中小領主連合を形成した。戦国期の松浦党の城を探検すると、山の頂部を楕円(だえん)形の空堀で囲んだ独特な城をいくつも確認できる。一族が拮抗(きっこう)し合った分立的な政治であったのがうかがえる。その後、豊臣政権に属して近世大名になった松浦鎮信(しげのぶ)も、一族や家臣の統制に苦心したに違いない。

 そうしたなか鎮信は1599(慶長4)年から現在の平戸城の場所に日ノ岳(ひのたけ)城を建設しはじめた。ところが平戸藩編纂(へんさん)の「家世伝」によれば、城主の鎮信自らが1613(慶長18)年に城を焼却したとする。諸説あって理由ははっきりしないが、キリシタンの増加や、有力な一族との軋轢(あつれき)などに悩む鎮信の心情が、そうさせたのだろうか。

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