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【昭和天皇の87年】東京駅の惨劇 暗殺された首相は、盤石のレールを敷いていた

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 外遊後の10年10月4日には、宮相の牧野伸顕らの主導で、幼少の頃の病歴も含め、より詳細な症状が発表された。

 「(最近は)通常御歩行の場合にも、側近者の扶助を要せらるゝことあり。且御態度の弛緩及御発語の故障も近頃其度を増させられ、又動(やや)もすれば御倦怠起り易く、御注意力御記憶力も減退し…」

 国民に向けて、摂政設置もやむを得ないとする地ならしが進められる一方、皇族や枢密顧問官らへの根回しも周到に行われている。牧野が各宮家を訪問して一人一人に直接理解を求めたほか、最後まで難色を示していた貞明皇后には、内大臣の松方が説得にあたった。

 このとき貞明皇后は、公務から離れてしまう大正天皇を気遣い、「全く御仕事の無くならざる便法はなきや」と、複雑な思いを漏らしたという。

× × ×

 こうして、摂政就任の環境は整ったかにみえた。だが、ここで思わぬ事件が発生する。摂政設置の旗振り役だった原が、暗殺されてしまうのだ。

 それは、一瞬の出来事だった。

 大正10年11月4日午後7時25分、人込みであふれた夜の東京駅。原は、立憲政友会の大会が開かれる京都へ行くため、少数の側近らと改札口に向かって歩いていた。その時、物陰から男が飛び出し、短刀を握りしめて原に体当たりした。

 短刀は、原の肺を破り、心臓にまで達した。ほぼ即死だった。

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