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【昭和天皇の87年】お帰りなさい、我らが皇太子よ- 摂政就任の機は熟した

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 しかしこれには、駐米大使の幣原喜重郎が反対する。王室のないアメリカの歓迎態勢が、悪意はないにしても思わぬ摩擦を引き起こしかねないと懸念したのだ。かつてエドワード英皇太子が訪米した際、米人の新聞記者が近づいて話しかけ、「野卑無礼ナル質問ヲ続発」したことを幣原は忘れなかった。

 結局、アメリカは訪問国から外された。かわりに裕仁皇太子は外遊中、さまざまな配慮をみせている。

 戦跡視察の際に米軍戦死者の墓地を訪れて花輪を供え、米国国旗に敬意を表したり(※1)、ニューヨーク・ヘラルド紙の記者に「今回米国巡遊が出来ないことは、洵(まこと)に遺憾に堪へない。正義公道の為め、日米両国民の協力を期待する」と述べたりした。

 アメリカだけではない。フランスを訪れていたスペイン皇帝と親交を深めるため、自ら予定を変更して2回にわたり会いに行った際には、抱擁の礼をもって迎えられた。イタリアではチェコスロバキア大統領の突然の面会要請にも自らの意思で快く応じている。

 五大国の一角となりながら、少しも尊大なところのない裕仁皇太子は、どこへ行っても歓迎された。皇室史上初となる皇太子の訪欧は、皇太子自身の人柄により、現代にも通じる皇室外交の扉を開いたといえるだろう。

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