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【昭和天皇の87年】お帰りなさい、我らが皇太子よ- 摂政就任の機は熟した

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 気品と自信に満ちあふれた応対に、そばで見ていた内大臣松方正義は感極まって涙ぐみ、首相原敬は「電気に打たれた様に」身動きすらできなかったと、翌朝の読売新聞が報じている。

 その夜、東京で奉迎の提灯行列が行われた際、5万人もの参加者を熱狂させることが起きた。東宮御所の正門が開かれたのだ。各団体ごとに御所内への参入が許され、車寄前に整列して万歳するたびに、裕仁皇太子は車寄階上に姿を見せ、会釈で応えた。

 明治天皇の時代には考えられなかった光景である。国民はこのとき、われらが皇太子により新しい時代が到来したことを、強く感じたことだろう。

 もっとも、裕仁皇太子は外遊によって思考を180度転換させたわけではあるまい。すでに書いたように、学習院初等学科時代は世界名君伝や名臣伝を熱心に読んでいた。東宮御学問所時代は杉浦重剛らが教える帝王学に聞き入った。その頃から、近代国家にふさわしい君主とは何かを考えていたのではないか。

 その答えの一つを、外遊先で見つけた。

 そして、それまで年長者の言うことに素直に耳を傾けていた裕仁皇太子は、自らの意思で、あるべき君主を実践しようとしていた(※2)。

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