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【本郷和人の日本史ナナメ読み】気になる徳川家の人々(下)なぜ秀忠は天皇に激怒したか

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 研究者の皆さんはあまり不思議に思っておられないようですが(いや、とっくに納得済み?)、これいろいろとおかしくありません? だって、典侍という存在は天皇と男女の関係になるのが歴史的に「当たり前」なのです。事件当時、天皇は24歳と若々しいのですから、子供だって生まれるでしょう。セレブは自由な恋愛を旨とする『源氏物語』を文化の粋として愛読していて、しかも当時は長子相続ではない。和子さんが将来産むであろう男子を嫡子とし、次代の天皇にすればよいだけの話。それでなぜ、秀忠は激怒するのか。

 解釈Aとしては、ともかく秀忠と幕府は、朝廷に打撃を与えたかったのだ、虎視眈々(たんたん)と機会をうかがっていたのだ、とする。それで重箱の隅をつつくように、天皇とおよつさんの関係にいちゃもんをつけ、幕府から朝廷へのマウンティングを敢行した。徳川家は時にムチャクチャな理由で非を言い立てることがあります。たとえば関ケ原の時、上杉謀反からの会津征伐。それから大坂の陣の発端となった方広寺の鐘銘(国家安康)事件。そうしたお家芸の一つがこの事件。この解釈に従えば、秀忠は実は激怒してなどいない。たぶんニヤニヤしながら、公家を追い詰めた。ここから導き出されるのは、「ブラック秀忠」像ですね。

 もう一つの解釈Bは、本当に秀忠は激怒した説。その中身はさらに2つあり、B1が先述した「きまじめ・秀忠」像を補強する説です。浮気なんて言語道断! 俺の娘を泣かせるな!と秀忠は考えたとする。これ、もちろん、現代なら説得力十分です。でも先述しているように、当時はこの考え方はない。1人の妻を愛した黒田官兵衛みたいな人はいますが、こういうタイプの多くはキリスト教に影響を受けています。でも、秀忠はキリスト教を毛嫌いしている。

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