PR

ライフ ライフ

【本郷和人の日本史ナナメ読み】気になる徳川家の人々(下)なぜ秀忠は天皇に激怒したか

徳川秀忠像(模本、東大史料編纂所蔵)
Messenger

 「徳川家のこの人がスゴイ」アンケートの3、4位は徳川家康、秀忠としました。まあ神君・家康は本来は1位に推すべき人であるし、秀忠がただの「実直な2代目」でないことは少し事績を調べればすぐに分かります。なにしろ福島正則の広島藩をはじめとする西国の雄藩を次々に取りつぶしたのも、徳川一族の松平忠直、能吏の本多正純を失脚させたのもこの人です。直接に切腹させたのは3代の家光でしたが、実子の駿河大納言・徳川忠長に蟄居(ちっきょ)を命じ、破滅を決定づけたのも大御所・秀忠でした。彼は果断に動き、内戦・内乱を未然に防ぎ、江戸幕府ひいては日本列島に安泰をもたらしたといえます。

 ただ、どうにも分からないのがこの人の内面です。彼のイメージとしては、自由闊達(かったつ)とか豪放、もしくは放埒(ほうらつ)などはなく、実直・律義・きまじめといったものが挙げられます。これはおそらく奥さんとの関係性に由来すると思われます。ご存じの通り、秀忠の正室は淀殿の妹、崇源院(お江さん)。バツ2、子あり、6歳年上のこの女性を、彼は終生大切にした。他の女性との間に子をなしたことはただ一度、しかもその子(保科正之)を認知しなかったという徹底ぶり。一夫一婦が当然の現代ではないわけで、天下人たる信長・秀吉、父の家康の周囲にはたくさんの女性がいた。いってみれば「何でもあり」のサル山のボスが1匹のメスだけを尊重したという話ですから、「ありえない!」と総ツッコミが入るところでしょう。

 これに関連して、ぼくが最近、うーん、分からんと首をかしげているのが、およつ御寮人事件といわれる一件です。秀忠は家康の発案による五女・和子入内(じゅだい)を実現すべく、嫁入りの手はずを整えていました。ところがそこに、和子さんの夫君となるべき後水尾天皇が典侍を務める「およつ御寮人」との間に子(1男1女)をなしていたというニュースが飛び込んできた。秀忠は激怒し、およつさんの実兄である四辻季継(すえつぐ)ら6人の公卿(くぎょう)を処罰(配流、出仕停止)したのです。元和5(1619)年のことでした。

続きを読む

あなたへのおすすめ

PR

PR

PR

PR

ランキング

ブランドコンテンツ