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【話の肖像画】建築デザイナー カール・ベンクス(76)(3)

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 ■移築でドイツと日本を橋渡し

 〈24歳だった昭和41年に日本に留学。空手の修行に励んで日本語も上達していく〉

 日本大学の空手部に入り、学生たちと一緒に飲み会にもよく出かけました。当時の東京・新宿は学生の街で、料金が安い飲み屋がたくさんありました。新宿の映画館にも足を運びました。三船敏郎や仲代達矢が出ているチャンバラ映画が大好きでしたね。3本立ての映画を100円くらいで見ることができました。

 銀座も低層の木造建築が多く、高層の建物は和光ビルと百貨店くらいだけでした。質の良い木造の建物は、戦争で爆撃にあっていない地方の田舎に多く残っていました。日大では3年ほど空手を学びましたが、空手以外にも何かをしたいと思うようになりました。

 〈内装やインテリアの仕事を手掛け、日本とドイツを行き来するようになる〉

 ドイツの商工会からの依頼で、東京・晴海の展示会に出展するブースの設計やデザインに携わりました。45年に開かれた大阪万博のときも、内装を手伝う仕事をもらいました。さらに東京の小さな喫茶店の内装を仕上げたり、花瓶などの小物を鉄で作って花屋や百貨店を通じて売ったりしているうちに、職人さんと知り合って簡単な家具を作ったりもしました。

 ドイツ人は日本の古い建物が好きだったので、日本の内装をドイツで紹介しようと考えました。日本で作ったものをコンテナで送り、現地で日本の大工さんに建ててもらうわけです。古い家屋そのものを解体して輸送し、離れなどとして個人の敷地に移築する仕事も始めました。

 私が初めて解体したのが埼玉県の建物です。ドイツ・デュッセルドルフにある建築関連の大学から、日本の建物を学生に組み直させたいという話があり、現地に運びました。ところが、途中で話が駄目になってしまう。結局、現地に日本文化センターをつくろうとしていた日本企業が買い取ってくれました。建具や畳も日本から運び、ライン川近くに寺と幼稚園を建てました。

 〈建築デザイナーとして実績を積むなか、新潟県松代町(現十日町市)の竹所(たけところ)集落で廃屋同然の古民家を平成5年に購入。骨組みを生かして蘇(よみがえ)らせ、自宅にした〉

 古い空き家を探すため、友人に連れられて松代を初めて訪れました。3メートルは積もるという雪の影響で家は少し傾いていましたが、中を見たら柱とかは全く大丈夫。静かな場所に妻と住みたくて欧州でも探していたのですが、竹所のように杉に囲まれた集落はなかった。好きな段々畑もある。

 いくらで買えるか尋ねたら、提示価格は100万円。「安いな」という表情をしてしまったせいか、最終的に周囲の樹木も含めて150万円になりました。それでも安い。とても住める状態ではなかったので、解体して建て直して「双鶴庵(そうかくあん)」と名付けました。鶴のつがいは死ぬまで一緒で、千年も生きると聞いたので「いいかな」と。 (聞き手 村山雅弥)

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