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山形城の「屏風折れ土塀」延伸部分発見 計400メートルの礎石

「この折れているところが、屏風折れ土塀です」と説明する山形市教委の斎藤仁主幹=3日、山形市の山形城跡(柏崎幸三撮影)
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 国指定史跡山形城跡を発掘調査している山形市教委は3日開催した現地説明会で、城跡北東部の二ノ丸土塁から新たに屏風(びょうぶ)折れ土塀の礎石が見つかったと説明した。現存遺構では全国初の発見になった昨年に続く発見で、市教委の斎藤仁主幹は「この礎石の上に屏風折れ土塀があったとされ、手薄だった軍備を補強するために作られたのでは」と推察する。

 見つかった屏風折れ土塀の礎石は、2列にわたり山形城跡のある霞城公園北東部に約200メートルわたり続き、昨年の発掘調査で見つかった礎石の延伸部分と考えられ、昨年の発見部分と合わせ約400メートルの礎石が見つかり、山形城跡の北門まで続くことが確認された。年代は不明ながら、鳥居忠政が城主になった元和8(1622)年から幕府領となる明和元(1764)年までの間と推定される。

 屏風折れ土塀は、攻めてきた敵を鉄砲や弓で攻撃するための穴(弓狭間、鉄砲狭間)が、直線的な土塀にではなく折れ曲がった土塀に開けてあるもので、左右からの敵を攻撃することができ、12~13メートル間隔で配置されていた。

 発掘調査では、屏風折れ土塀の上に使われていた黒瓦や赤瓦の破片も見つかり、山形の冬季に瓦が凍り、割れてしまう「凍害」から瓦を守るため、寒さに強い赤瓦が多用されていたという。

 発掘調査には、写本の残る山形城の古絵図が使われたが、屏風折れ土塀の記述はなかった。一方、篠山城(兵庫県篠山市)、松本城(長野県松本市)の古絵図には、屏風折れ土塀の記載があるものの遺構は残されておらず、山形城の屏風折れ土塀は、現存する遺構として全国的にみても珍しい発見になっている。

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