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【話の肖像画】CoCo壱番屋創業者・宗次徳二(70)(3)

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 ■妻と二人三脚で全国展開

 〈昭和53年1月、愛知県西枇杷島(にしびわじま)町(現・清須市)で開いた「カレーハウスCoCo壱番屋」は徐々に売り上げを伸ばし、翌年には2、3号店をオープンさせた〉

 1号店は幹線道路を外れた田んぼの中にありましたが、秋には目標の日商6万円をクリアできるようになりました。飲食業は決して立地次第ではありません。売れて当然の一等地に出店するより、コツコツ努力を続けて繁盛店に育てる方が喜びは大きい。目標を達成したら次の店を、と決めていました。大きな夢を抱くのも良いでしょうが、1、2年必死に頑張れば届きそうな短期目標を立て、「必達」を繰り返すほうが夢への近道ではないでしょうか。

 〈喫茶店からカレー店に軸足を移し、多店舗展開を進める歩みは妻、直美さんとの二人三脚だった〉

 妻は調理や接客の先頭に立って店の「顔」となっただけでなく、金融機関に融資を頼む際の交渉にもたけていました。私がアイデアを出し、妻が資金を調達してくるという理想的なコンビだったからこそ、成功できたと思っています。

 〈通常の4倍、ライス1300グラムの巨大カレーを「20分以内に完食すれば無料」のサービスも注目された〉

 辛さやボリュームを選べるサービスの延長で思い付きました。ただ、食べ物をゲーム感覚で提供する後ろめたさも感じていました。宣伝になると割り切りましたが、早くやめたかったのが本音です。

 〈55年にフランチャイズ(FC)展開を開始。8年後に100店、14年後に47都道府県で300店を展開し、18年後の平成10年には500店を達成した。原動力となったのが、独自の“暖簾(のれん)分け制度”だ〉

 FC加盟条件として当初こだわったのが「夫婦2人の生業経営」です。小さな食堂の強みは「オーナーと従業員の真心」だと確信していたからです。FC本部とオーナーとのトラブルを防ぐために経営指導料も取りませんでした。事業多角化の一環というような加盟希望は断り、じっくり店を増やす考えでした。

 でも夫婦経営にこだわり過ぎると拡大のチャンスを逃しかねない。悩んでいたとき直営店のほとんどの社員が独立志向だと知り、当時は画期的だった社員を独立させる「暖簾分け」制度を思い付きました。優秀な人材が独立するのは痛手ですが、「将来はオーナーに」という目標を示すことは、後の求人戦略の上でも効果的でしたね。

 〈工場増設、全国展開、ハワイ出店、株式公開…と事業を広げていく間、朝4時に起きて客からのアンケートはがきに目を通すのが日課だった〉

 一日も休まず、5637時間働いた年もあります。時間を作っては全国の店舗を見て回り、社交には関心がありませんでした。自他共に認める一流経営者なら、人付き合いも有意義でしょう。しかし、創業経営者は会社に一身をささげるべきです。その姿を見て、後継者も育つのではないでしょうか。(聞き手 山沢義徳)

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