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【書評】文芸評論家・高橋敏夫が読む『蕪村 己が身の闇より吼て』小嵐九八郎著 確信と逡巡のぶつらぶつら

『蕪村 己が身の闇より吼て』小嵐九八郎著
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 〈ん、わ、おお。しゅっしゅっ、ぽっぽおお〉。汽車があえぎ、妙な音を発する。しかもこれが物語のはじまり-小嵐九八郎の独壇場だ。

 きまらない、かっこよくないのは、もちろん汽車だけではない。物語には登場する者のぐずぐずと定まらない、ぶつらぶつらの独り言が、どこまでもつづく。迷いと逡巡(しゅんじゅん)を厭(いと)わず一時の確信を上がりにしない。そんなぶつらぶつらの主体は、読者のうちでやがて、己の思いと願いを大きな振幅で貫く求道者の風貌をおびはじめる…。

 これまで小嵐は、宮本武蔵を、ユダを、伊藤若冲を、相楽総三を、ぶつらぶつらを炸裂(さくれつ)させる過激な主体にしたててきた。本作品の主人公は、「春の海終日(ひねもす)のたりのたりかな」や「菜の花や月は東に日は西に」などで遍(あまね)く知られながら、20歳頃まで謎につつまれた詩人、与謝蕪村である。

 時は江戸時代の中頃。大坂の小さな村で、15歳の少年が凄惨(せいさん)な血の海の中にいた。

 〈ぎ、ぎ、ぎっ。げ、げ、げげ〉。出刃包丁の肉と骨を削り弾く音と感触が消えない。ここにはとどまれぬ。逃げて、逃げとおす。名も出自もすべてを消して別人となる男のはじまりだった。

 生活と名前を変えつづけた男は、画を学び俳諧に関心を向けて、20代後半で蕪村を名のる。憑(つ)かれたような旅から旅への暮らしは、いつしか逃亡の旅から、新たな人との出会い、新しい自分との出会いの旅へと変わっていく。

 しかし、蕪村のぶつらぶつらは止まない。そんな蕪村と親しく接する者たちもいつしかぶつらぶつらの主体となり、蕪村の「己が身の闇より吼(ほえ)て夜半の秋」という句に、蕪村の闇と自分の闇をのぞきこみ、確信と逡巡とをくりかえす。蕪村のぶつらぶつらは、人びとに感染し、物語はぶつらぶつらの交響楽となるのだ。

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