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【海峡を越えて 「朝のくに」ものがたり】(42)慰安婦問題の原点「サハリン裁判」 “朝鮮人狩り”証言した吉田清治

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国会前でサハリン残留韓国人の帰還を呼びかける朴魯学(中)ら=昭和48年(堀江和子さん提供)
国会前でサハリン残留韓国人の帰還を呼びかける朴魯学(中)ら=昭和48年(堀江和子さん提供)

 軍の命令で朝鮮人女性を慰安婦とするために暴力で狩り出した-などという吉田清治の虚偽の話が、それをうのみにした朝日新聞の記事によってバラまかれ、今や世界中に慰安婦像が立ち並ぶ事態になってしまった経緯は、いまさら繰り返す必要もないだろう。

 吉田はもちろん、尻馬に乗って、さんざん日本の行為を非難した革新政党の政治家や、進歩的文化人とよばれた学者や、ジャーナリスト、弁護士たちの責任はあまりにも重い。この結果、「従軍慰安婦」「朝鮮人強制連行」など、戦時には存在しなかった言葉が、日本の悪行のシンボルのごとく使われるようになり、ウソがウソを呼んだ。

 その吉田がスポットライトを浴びることとなったのが昭和50(1975)年12月、東京地裁に起こされた「樺太(からふと)残留者帰還請求訴訟」(サハリン裁判)である。57年、法廷で朝鮮人の「強制連行」や「慰安婦狩り」を証言した吉田はメディアに大きく取り上げられ、翌年には同様の話を綴(つづ)った著書を出版。韓国で「謝罪碑」なるものを建てサハリン残留韓国人の遺家族の前で土下座パフォーマンスを行う。虚偽の話はどんどん拡散していった。

 日本叩(たた)きに狂騒する日本人たちにとって吉田の証言は貴重だったろう。何しろ“加害者側(日本人)”による具体的、詳細な告白だったのだから。社会の注目を集めたサハリン裁判に味を占めた彼らはそれ以降、「戦後補償」「戦後責任」という言葉を声高に掲げて日本政府を非難し、慰安婦問題をはじめとする補償請求訴訟などを次々に起こしてゆくことになる。

 ■「日本糾弾」が主目的

 そもそも、サハリン裁判は奇妙な性格をもっていた。残留韓国人問題(別項)の本来の目的は、ソ連(当時)が出国を認めないサハリンの朝鮮出身残留者を「故郷(主に韓国)の家族のもとへ帰したい」ということである。事実、残留者のひとりで、妻が日本人であったために一足先に日本へ帰国できた朴魯学(パク・ノハク)(昭和63年、75歳で死去)らは、韓・ソの国交がない時代に、外務省やソ連大使館などを回り、署名を集め、何とか堅い門をこじあけようとしていた。

 ところが、元日弁連会長を団長とする大弁護団は、サハリンに残っている朝鮮出身者4人を原告に仕立てた上、彼らは、日本政府の強制連行政策によって当地に送られ、戦後、置き去りにされた(つまり、すべては日本がやったこと)。当事者の責任として、日本政府は原状回復(日本への帰国)させる義務がある-と主張したのである。

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