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【話の肖像画】指揮者、リッカルド・ムーティ(77)(2)

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 音楽人生変えた母の後押し

 〈1941年、母親の故郷であるイタリアの港町、ナポリで生まれ、アドリア海に面したモルフェッタで幼少期を過ごした〉

 父は優秀な医者であり、寛大な心を持っていました。貧しい家に病人が出ると、お金も取らずに治療して、いつも「神様がどうにかしてくださるでしょう」と言っていましたね。

 そして、大のオペラファンでした。町の楽隊の演奏で歌っていたのです。イタリアでは、町の広場で宗教的な行事の度に楽隊の演奏が行われていました。当時はテレビもレコードも普及していませんでしたから、人々は広場に集まって、オペラから抜き出した音楽を楽しんでいました。

 この楽隊の演奏がイタリアでオペラを人々に広めるために大いに役立っていたと思います。私も子供時代に初めて聞いた演奏は、誰かが亡くなったときに楽隊が奏でる葬送行進曲でした。

 〈48年頃、情操教育のため子供たちに楽器の習得を義務づけていた父から、子供用のバイオリンをプレゼントされる。これが音楽の道に進む第一歩となった〉

 私はそのとき一緒にもらった木製のピストルのほうがはるかにうれしかった。だって、バイオリンは練習しなくては演奏できないのですから。

 若い女性の先生が私にソルフェージュ(音楽の基礎訓練)を教えてくれたのですが、やる気がなかった私はいつまでたっても覚えられません。毎回、先生が「この音は何?」と尋ねるたびに、当てずっぽうな答えをしていました。そんなことを3カ月も続け、バイオリンの弦を指で押さえもせず、ただ弓でこすっているだけ。私は友達がボールや自転車で楽しそうに遊んでいるのに、なんで自分はバイオリンをギーギー弾かなければならないのか、と不満でいっぱいでした。

 ある日、とうとう父があきれ果て、「もうこの子に音楽の勉強をさせるのはやめよう」と母に言いました。ところが、普段は音楽教育に関心がなかった母が「あと1カ月だけやらせましょう」と父を押しとどめたのです。思えば、この一言が私の人生を変えたのです。

 不思議なことに突然、私はある朝から音符を完全に読めるようになりました。なぜだか分かりませんが、まるで奇跡が起こったように、今まで理解できなかった楽譜がすらすら読めるようになった。それがきっかけでバイオリンにも興味がわき、2年後には、モルフェッタの神学校で行われた演奏会でバイオリンを弾いたのです。黒い半ズボンに白いシャツを着て、聖歌隊の前で演奏しました。こうして私は少しずつ音楽の道に進んで行きました。

 父はそんな私のことを喜んでいましたが、大学を卒業して就職することを常々望んでいました。だって、父は私が音楽の道に進んでも、うまくいって地元モルフェッタの楽隊の指揮者くらいだろうと思っていましたからね。(聞き手 竹中文)

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