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【話の肖像画】指揮者、リッカルド・ムーティ(77)(4)

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 傑作に口出しはできない

 〈オーストリアのウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、米シカゴ交響楽団など世界の名だたるオーケストラを指揮。オペラなどで慣習的に行われてきた楽譜の改変に批判的な原典主義者として知られる〉

 1960年代から私はオペラを改変してしまう「伝統的演奏法」と大いに戦いました。初めて(19世紀のイタリアの歌劇王)ヴェルディのオペラをフィレンツェ歌劇場で指揮したとき、劇場にある「群盗」の楽譜がホチキスであちこちとじられていることに驚きました。長い間、演奏家たちによって伝統的にカットされていたのです。

 なぜ、演奏家たちは19世紀を代表するオペラ作者のヴェルディ、ベッリーニ、ロッシーニたちの傑作に平気で手を加えるのか? ヴェルディは彼の手紙の中で、「作曲家だけが創作者なのだ」「指揮者や歌手には、私の指示通りの演奏をするようお願いする」と怒りをあらわに書いています。

 状況によって、作品のどこかを改変することが許されるのでしょうか? 聖なる傑作にわたしたちが口出しできるとは、とても思えません。

 〈70年代に、それまで大幅に省略して演奏されていたロッシーニのオペラ「ウィリアム・テル」を完全な形で演奏し、大きな話題となった〉

 休憩を含めれば6時間に及ぶ長大な作品でしたが、観客は大喜びでした。「カットなしの全曲演奏は、カットだらけの演奏よりも短く感じた」という評論もありましたよ。オリジナルに忠実だったので、構成がスムーズに感じられたのでしょう。

 この作品には、アーノルドという難しいテノールの役があります。有名なアリアで…(歌ってみせる)…という高音のドが続く部分があります。ロッシーニは真の音楽家ですから、最後は低いドに下げている。もしも、高音で終わったら低俗になってしまいますから。

 ところが、近年のオペラ演奏では歌手が高音部を勝手にのばすような行為が横行しているのです。

 ある有名なテノール歌手が公演前、私に「フィナーレは高音のドで終わりたい」と言ってきたことがあります。私は「ロッシーニは作中でいくつもの高いドを書いているが、そこは高音にしなかった。彼の意思なのです」と言いました。それでも彼は「私にはゴールを決める気分なのです」と懇願してきましたが、「ゴールならサッカー場で決めなさい」と拒絶しました。結果的に素晴らしい公演となった。あれで良かったのです。

 たとえば、ベッリーニのオペラ「ノルマ」のアリア「清らかな女神よ」は、神様が作ったかと思えるくらい完璧な旋律ですが、今はここでのばしたり、そこで止めたり…と観客を喜ばせるためにさまざまに手を加えてしまうのです。オペラ作家に対し、18世紀の作曲家、モーツァルトに対するような敬意が払われていないことが非常に残念です。(聞き手 竹中文)

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