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【話の肖像画】指揮者、リッカルド・ムーティ(77)(3)

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 リヒテルの前でピアノ演奏

 〈1957年、イタリアのナポリ音楽院として知られるサン・ピエトロ・ア・マイエッラ音楽院でピアノを学び、その後、ジュゼッペ・ヴェルディ音楽院(ミラノ音楽院)で作曲と指揮を学んだ。その音楽人生は多くの巨匠との出会いに彩られている〉

 指揮者として初めて対面したのは、(20世紀最高のピアニストの一人)旧ソ連のスビャトスラフ・リヒテルです。68年に彼がフィレンツェでピアノ協奏曲を弾くことになった際、劇場側が67年のグィード・カンテッリ国際指揮者コンクールで優勝したばかりで無名だった私との共演を打診したのです。彼の返事は「指揮者として、音楽家として優秀なら」というものでした。

 〈67年11月、リサイタルでイタリアのシエナに滞在中のリヒテルに急遽(きゅうきょ)呼ばれる〉

 見たいのは私の顔ではなく、腕だろうと思いました。シエナのキジアーナ音楽院に着くと、広間にピアノが2台並んでいて、その前で長身の男が私を見下ろしていました。リヒテルです。

 「始めなさい」と言われ、モーツァルトのピアノ協奏曲を弾き始めると、彼がソロを弾きだします。どちらも一言も発しませんが、ときどき彼の視線を感じました。弾き終えると、彼は立ち上がり、「今のピアノのように指揮するなら良い音楽家、良い指揮者です。共演しましょう」と言ったのです。これが私のキャリアの第一歩となりました。

 〈オーストリアのウィーン・フィルハーモニー管弦楽団とは、71年にザルツブルク音楽祭で初共演以来、何度も指揮を務めるなど親密な関係にある。両者を引き合わせたのは同国出身の指揮者である巨匠、ヘルベルト・フォン・カラヤンだった〉

 まだ30歳の私が指揮者として招かれたのです。誰が招いてくれたのか調べると、何とカラヤンでした。あまり知られていませんが、カラヤンは若い指揮者の育成に力を注いだ方です。私だけでなく、新人時代のイタリア出身のクラウディオ・アバド、インド出身のズービン・メータ、小澤征爾(いずれも世界文化賞音楽部門受賞者)と多くの指揮者を援助してくれました。

 私はジノ・フランチェスカッティ(仏バイオリニスト)やリチャード・タッカー(米テノール歌手)、モーリン・フォレスター(カナダの声楽家)らと共演しましたし、英国女王など王室の方々ともお近づきになる機会を得ました。

 時々、不思議な気持ちになります。66年、共産主義政権下のプラハに1人で演奏旅行に行ったとき、ホテルは安っぽく、街は薄暗かった。寂しさを紛らわそうとイタリア大使館の周囲を歩き回ったものです。30年ほど後、プラハでの公演の際、大使館が立派なレセプションを開いてくれました。ああ、哀れな姿で大使館前をさまよっていた私が、今は要人と夕食をともにしている…。まあ本音を言えば、私は要人がいないホテルでベッドにもぐり込むほうが好きですがね。(聞き手 竹中文)

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