PR

ライフ ライフ

【書評】文芸評論家・池上冬樹が読む『ある日失わずにすむもの』乙川優三郎著 時代の気分凝縮した秀作集

『ある日失わずにすむもの』乙川優三郎著
Messenger

 『五年の梅』(山本周五郎賞)『生きる』(直木賞)など時代小説の名手・乙川優三郎は平成25年、『脊梁山脈』(大佛次郎賞)で現代小説に転向し、『太陽は気を失う』(芸術選奨)『ロゴスの市』(島清恋愛文学賞)など上質の大人の物語を送り出してきた。

 本書は短篇集だが、表紙に小さく“twelve antiwar stories”とあるように“12の反戦小説集”である。といっても、乙川の小説であるから優しく静謐(せいひつ)で、哀切さをたたえている。

 たとえば、小説家を志す苦学生の男女が最後に思いを確認する「万年筆と学友」、売春婦として一家を養う妹を守ろうとする「とても小さなジョイ」、唯一の家族である猫と離れがたく思う「十三分」、そして息子を亡くし病に冒された妻との別れを惜しむ「こんな生活」などいずれも切々としていてやるせない。

 戦争の影が人生のさまざまな場面を引き立たせる構成で、毎回主人公たちの生活が丁寧に語られ、愛すべき恋人や家族がいながら出征命令が届き戦場へと赴く話である。一見単調な印象を与えるが逆で、舞台はスペイン、フランス、インド、フィリピン、中国と異なり、主人公の職業もジャズミュージシャン、ワイン醸造家、ホテルマン、漁師、屋台商、農民と多様。

 『ロゴスの市』に“世界の現実は無数の人生のシャッフルで作られている”という言葉が出てきたが、実際どこで生まれ、どのような環境で生活をしても、人は大きな現実の渦に巻き込まれずにはいられない。本書が優れているのは、反戦を謳(うた)いながらも、何か大きな人生の試練が訪れて、それが自分と他者に決定的な異変をもたらすという普遍性をもたせている点だ。

 それにしてもこの暗さはどうだろう。人生の局面を迎えた者たちの内面を房総の四季とともに抒情(じょじょう)的に捉えた短篇集『トワイライト・シャッフル』は艶やかでエロチックで、暗く沈んでいても、底には不思議と華やぎがのぞいていたが、ここには華やぎなどなく不安と絶望が支配している。まさに時代の気分が濃密に凝縮された秀作集である。(徳間書店・1700円+税)

 評・池上冬樹(文芸評論家)

あなたへのおすすめ

PR

PR

PR

PR

ランキング

ブランドコンテンツ