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【海峡を越えて 「朝のくに」ものがたり】(40)引き金となった「決起未遂」 黄長●亡命事件の真相

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北朝鮮の国家主席、金日成(右端)と。黄長●(=火へんに華)(中央)朴庸坤(左端)
北朝鮮の国家主席、金日成(右端)と。黄長●(=火へんに華)(中央)朴庸坤(左端)

 「主体(チュチェ)思想」は、1950年代の中ソ対立のはざまで、北朝鮮の独自性を打ち出そうとした初代権力者、金日成(キム・イルソン)が提唱し、側近の黄長●(ファン・ジャンヨプ)らによって体系化された。「革命と建設の主人は人民大衆である」などと規定した北朝鮮と朝鮮労働党の政治思想である。

 やがて、主体思想は、後継者となった金正日(キム・ジョンイル)によって、「金日成の絶対化・神格化」のツールとして利用され、変質してゆく。

 後に主体思想研究の日本での第一人者となる朝鮮大学校元副学長、朴庸坤(パク・ヨンゴン)(90)が“絶対化”の一端に触れるのは1974年7月、朝鮮総連(在日本朝鮮人総連合会)の「第2次教育者代表団」の一員として初訪朝したときだ。

 朴らは、金日成総合大学の一室に案内され、通しナンバーがふられた赤い表紙の小冊子「党の唯一思想体系確立の10大原則」(別項)を受け取る。朝鮮労働党中央の指導員が読み上げた内容は、まさに衝撃的であった。

 朴の著書『ある在日朝鮮社会科学者の散策』を見てみよう。《後継者に内定した金正日が最初にやった仕事は、「党の唯一思想体系確立の10大原則」を定めたことだった…金日成の神格化、偶像化の宣言であり、疑似宗教国家への変質の道を開く宣言だった…》

 「(初めて聞いたとき)大変なショックを受け、思わず(指導員に)質問をした。『これは事実なのでしょうか?』と。マルクス主義の研究者だった私にとっては、『絶対化』『神格化』などは、あり得ないことでしたからね」

 約2カ月後に帰国した朴は、自宅に飾っていた金日成の肖像を庭にたたきつけ、一時は組織を離れる決意を固める。だが、周りの状況が許さなかった。初訪朝直前には、朝鮮総連の幹部を養成する朝大政経学部の学部長に就任したばかり。翌年5月には、ポーランドで開かれる世界教員大会に出席する総連の派遣団団長に選ばれていた。

 さらに、思わぬことが起きる。1977年9月、北朝鮮の平壌で開かれた「主体思想国際討論会(セミナー)」に総連代表団団長として参加した朴に、主体思想に関する基本演説をする役割が割り振られたのである。マルクス経済学が専門の朴にとって“畑違い”の分野だが、組織の決定を拒否することはできない。

 以来、朴はこの新しい思想・哲学に対して次第に魅了されてゆく。金日成総合大学付属の主体思想研究所研究員、総連傘下の社会科学者協会会長、朝大社会科学研究所長などの肩書を与えられ、黄長●らとともに、体系化する仕事に熱中することになる。

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