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【昭和天皇の87年】大物右翼結集 皇太子妃内定解消の流れを覆した杉浦重剛の大和魂

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 中村は青ざめた。ここまで事態がこじれると、婚約解消を強引に進めるわけにはいかない。紀元節に右翼が大騒動を引き起こせば、累が皇室に及ぶ恐れもある-。

 そして迎えた紀元節の朝、新聞各紙に、宮内省発表の記事が掲載された。

 「良子女王殿下東宮妃御内定の事に関し世上種種の噂あるやに聞くも右御決定は何等変更なし」

 中村は、右翼の大会の前に婚約続行を明らかにすることで、事態の収束を図ったのだ。同時に中村は責任をとって辞任。婚約解消派の黒幕と目された山県も、枢密院議長職など全ての官職の辞表を提出し、勅許のないまま神奈川県小田原の別宅に謹慎した。

 こうして宮中某重大事件は落着した。2人が結婚するのは3年後、裕仁皇太子22歳、良子女王20歳の初春である--。(社会部編集委員 川瀬弘至 毎週土曜、日曜掲載)

(※1)綸言汗の如し 天子が一度口にした言葉(綸言)は、一度流した汗が戻らないように取り消せないということわざ。当時、婚約続行の論拠のひとつとなった

【参考・引用文献】

○宮内庁編「昭和天皇実録」6巻

○明治教育史研究会編「杉浦重剛全集」6巻

○藤本尚則著「国師杉浦重剛先生」(非売品)

○藤樫準二著「皇太子妃・色盲事件」(鶴見俊輔、中川六平編「天皇百話 上」〈ちくま文庫〉所収)

○大竹秀一著「天皇の学校」(文芸春秋)

○原奎一郎編「原敬日記」(福村出版)5巻

○大正10年2月11日の東京朝日新聞

○同年3月24日の都新聞

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