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【昭和天皇の87年】君主国が次々崩壊… 卒業の春を迎えた皇太子に、皇国の命運が託された

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 杉浦は日記に書く。

 「久振ニテ東宮御学問所御終業式ニ参列。殿下ニ拝謁。御機嫌麗(うるわ)シキヲ拝シ、感激ノ至リニ堪ヘズ。(中略)正ニ七年ノ御修学期ヲ完了。猶近来ノ緊要問題モ解決シタレバ、不肖ノ余モ、先ヅ微衷ノ貫徹ヲ覚ヘ、洵(まこと)ニ晴天白日ノ想アリ」

 東郷が言ったように、裕仁皇太子の御学問所での成績は優秀だった。

 幹事(教頭)の小笠原長生は「何としても他の学友は殿下(の成績)をお抜き申すことが出来なかった」、教務主任の白鳥庫吉も「総ての学科につき毫も偏せらるゝことなく、極めて円満なる御修養を遊ばさるゝなり」と評価する(※4)。

 一流の教授陣による密度の高い少人数教育だ。何事にも真面目な性格の裕仁皇太子は、吸収するのも早かったに違いない。

 卒業にあたり、どんな気持ちだっただろう。

 学友の永積寅彦は「非常に解放された感じでした」と率直に振り返る。

 永積ら5人の学友は卒業後に学習院高等科3年に編入となり、大学を目指す。

 だが、大正天皇の名代を務める裕仁皇太子に、進学の選択肢はない。その目は遠く、世界を見つめていた--。(社会部編集委員 川瀬弘至 毎週土曜、日曜掲載 来週からは日本の皇太子として初の「欧州外遊」編を連載します)

(※1)3・1独立運動 日本に併合された朝鮮半島で、元韓国皇帝の高宗が死去したことをきっかけに起きた民族運動。デモなどで独立を求める動きが朝鮮半島全域に広がった

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