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「ミスター危機管理」被害減らす発想の重要性説く 佐々淳行氏死去

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 当初は学者かジャーナリストを志望していたが、「国民の税金で卒業できた。恩返しに全体の奉仕者となる」と心に決める。

 一方、戦後間もない日本社会は連合国軍総司令部(GHQ)による「民主化」から一転、「レッドパージ」へ激変。極左と極右の両勢力に振り回され、不安定化する国家の危険性を痛感した佐々氏は、治安の安定に貢献したいと29年、国家地方警察本部(現在の警察庁)入りした。

 当時、日米安保などをめぐり学生や労働界の運動が隆盛し、過激派による闘争は苛烈(かれつ)を極めた。長野・軽井沢の企業保養所に連合赤軍が立てこもった47年の「あさま山荘事件」では警察庁から現地に派遣されて幕僚団の一員となり、顛末(てんまつ)を記した「連合赤軍『あさま山荘』事件」(文芸春秋)は映画の原作となった。

 退官後も危機管理に携わり、イラクによるクウェート侵攻やカンボジアでの文民警察官殉職などでも政府に提言を続ける。正論大賞の受賞が決まった際には「『危機に臨んで何をなしたか』については私の右に出る役人はいない。『わが人生に悔いなし』である」と回想した。

 他方、日本のあり方をめぐっても「先の大戦で敗戦した日本はあらゆる面で潰されたまま。歴史認識や領土問題で、まともに反論さえでない。真の再生に向けた若い力を待ち望んでいる」と語っていた。

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