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浮かんでは消えた築地の再整備・移転計画 跡地の未来は見えず

築地市場移転めぐる経緯
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 築地市場83年の歴史は、戦後復興・高度成長とともにあり、「日本の台所」として食卓を彩ってきた。一方、老朽化により、昭和40年代からは再整備・移転計画が浮かんでは消え、半世紀近くの懸案に。移転後の課題も多く、跡地利用の方針が決まっていないほか、跡地を通る幹線道路は移転延期の影響で計画変更を余儀なくされ、2020年東京五輪・パラリンピックでの輸送能力ダウンが想定されている。

 築地市場のルーツは約400年前、17世紀初頭までさかのぼる。東京都などによると、徳川家康に従って漁民が大阪から日本橋付近に移住。幕府に魚を納め、余りを庶民に売る許可も得た。これが市場のルーツとなり、「日本橋魚河岸(うおがし)」として繁栄した。

 しかし、大正12年の関東大震災で日本橋を含めた東京の複数の市場が焼失。その後、震災復興事業として、京橋にあった青果市場が合併して昭和10年、築地市場に生まれ変わった。

 戦後復興で栄える中、流通のあり方が築地市場も変えた。かつては船で直接、築地市場に魚を水揚げし、乗り入れる貨物列車が生鮮食品を運んだ。やがて高度成長で車社会が到来し、場内も車や人で混雑した。

 老朽化も進んだため、47年には築地の機能を新たな市場に一部移転する案が出たが、業界の反対で頓挫。61年には、現在地再整備案が浮上したが、整備費の増大や業界との調整が難航するなどの問題が生じ、白紙に。改めてテーブルについた都と業界側が調整を進め、平成13年に豊洲移転が決定した。

 解体後の跡地は東京大会関係車両の輸送拠点として整備されるが、小池百合子都知事が移転延期を決断した影響で、急ピッチの作業を迫られている。

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