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【本郷和人の日本史ナナメ読み】水戸学と「尊皇」(上)黄門さま「南朝正統論」の真意は

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 テレビでは格さんが印籠(いんろう)を出して「こちらにおわすは、前(さきの)中納言水戸光圀公にあらせられるぞ」と獅子吼(ししく)しますが、厳密には間違い。大臣になった人が「公」。大納言、中納言、参議は「卿(きょう)」、だから「水戸光圀卿」が正しい。それから「黄門」は「中納言」の中国風の言い方です。中国というと、光圀は明の遺臣である朱舜水(しゅしゅんすい)を庇護(ひご)して儒学を学びますが、あるとき朱老師がラーメンを作って光圀に食べさせた。だから彼はラーメンを食べた日本人第1号、という話もあるのですが、どうも室町時代の禅僧が、ラーメンを既に食べていたらしいです。まあ、これは小ネタですが。

 水戸光圀は尊皇家である、ということになっています。もしも幕府と朝廷が戦うようなことになったら、水戸徳川家は朝廷にお味方せよ、と言ったとか。でもこれに疑義を呈されたのが、尾藤正英先生。東京大学における山本博文さん(史料編纂所教授、専門は近世史)たちの指導教官です。

 『大日本史』は天皇が京都と吉野に2人いた南北朝時代について、「南朝こそが正統」という立場を打ち出しました。これが何を意味するか。実は南朝が正統の天子であるから、その南朝が1392年に北朝にのみ込まれることにより、正統の天皇は滅びたのだ。つまり、いま(光圀の時代)京都にいる天皇は「ニセモノ」である。それが光圀の真意だと尾藤先生は言われるのです。当然、朝廷と幕府が戦ったら、水戸徳川家は宗家の幕府に味方することになりますね。

 この論文は、いまだに反論が出ていませんので、近世史では認められているんじゃないかな。とすると、幕末の「尊皇」思想の根源になったのが水戸学であることはいうまでもないから、光圀の考え方との関係性は如何(いかん)、ということになります。そこで、西郷隆盛の師匠格として有名な藤田東湖(とうこ)のお父さん、藤田幽谷(ゆうこく)という人に注目することになる。この人が強く「尊皇」を打ち出し、それが水戸藩の主流の考え方になった。だから光圀の水戸学を前期水戸学、幽谷からの「尊皇」と「攘夷(じょうい)」の理論的なバックボーンとなった水戸学を「後期水戸学」と呼んで区別しています。(次週に続く)

                   

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