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【書評】作家・秋山真志が読む『なぜ柳家さん喬は柳家喬太郎の師匠なのか?』 あまりに芸風の違う2人

『なぜ柳家さん喬は柳家喬太郎の師匠なのか?』
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 ■一門の風通しの良さ伝わる

 当代随一の実力と人気を誇る噺家(はなしか)師弟の聞き書きである。本寸法の古典落語が持ち味のさん喬。一方、総領弟子の喬太郎は新作と古典の両刀遣い。あまりにも芸風の違う2人がどのように師弟関係を結んだのか。

 喬太郎はさん喬と知り合ってから弟子入りするまで3年近い歳月を要した。噺家になる踏ん切りが付かなかったのである。桂米朝が師匠の四代目桂米團治にいわれた有名な言葉がある。「芸人になった以上、末路哀れは覚悟の前やで」。噺家であれ、作家であれ、真っ当な道を外れ、その道のプロになるには相当な覚悟がいる。

 噺家になっても喬太郎には葛藤があった。陰で「さん喬の弟子なのに新作かよ」といわれる。古典をやっていると今度は新作ファンから「あいつはどっちなんだ。コウモリ野郎」といわれる始末。一方、さん喬にも葛藤があった。入門当初は、将来食べていけるように育てることができるだろうか、と心配した。もし、喬太郎を潰してしまったら、落語の歴史における逸材を自分が殺したことになる。売れっ子の弟子に対する嫉妬もあった。師弟が本音で語り合っている様が爽快だ。

 胸を突く言葉が満載だ。

 「噺家の『芸』は師匠が育てる。噺家の『人間』はカミさんが育てる」「嘘は本当、本当は嘘。だけど、本当は本当」「素人の発想とプロのテクニック」「芸は人なり」「小さんの心を継ぐ」「弟子は師匠の名を残すことができる。師匠は弟子の名前を残すことができない」等々。

 さん喬にとって喬太郎の特徴は「現代語で古典落語をしゃべれる」ことにあるという。一方、喬太郎のさん喬像とは「誠実の塊。誠実が着物を着て歩いているようなもんです」。さん喬一門の仲の良さ、風通しの良さがじんわりと伝わってくる。これもさん喬の人間味と器の大きさから来るものだろう。

 巻末には特別に掲載許可をもらったというネタ帳も収録。いかに2人が幅広いネタに取り組んでいるかがわかる貴重な資料となっている。落語ファン必読の書である。(柳家さん喬、柳家喬太郎著/徳間書店・1700円+税)

 評・秋山真志(作家)

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