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【海峡を越えて 「朝のくに」ものがたり】(38)主体思想研究の第一人者 朝鮮大学校元副学長の慟哭

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北朝鮮から剥奪された称号・勲章を記録した写真
北朝鮮から剥奪された称号・勲章を記録した写真

 朝鮮大学校(東京都小平市)の副学長を23年にわたって務めた朴庸坤(パク・ヨンゴン)(90)が密航船に揺られ、“海峡を越えて”、朝鮮半島から日本へ渡って来たのは、戦後の昭和23(1948)年、6月18日のことである。

 北緯38度線を挟んで米ソ両国が進駐し、事実上、南北に分断された朝鮮半島は混乱状態が続いていた。民族の独立を目指し、南朝鮮労働党(後に北朝鮮・朝鮮労働党に統合)の活動家となった朴は、モスクワ留学も決まり、前途洋々に見えたが、ぬれぎぬのスパイ容疑をかけられ、故郷に居づらくなってしまう。

 20歳の朴はひそかに、日本へ渡ることを決心。小さな船に詰め込まれ、済州島を経て、瀬戸内海の広島・尾道に上陸した。「尾道は警戒が緩く、まったく怪しまれなかった」という。

 愛知県内の親類宅に身を寄せた朴は、20年10月に結成された在日朝鮮人団体「在日本朝鮮人連盟(朝連)」愛知県本部の仕事や朝連の民族学校の英語講師をして糊口(ここう)をしのぎ、愛知大に編入する。同大は上海にあった東亜同文書院の系譜を引き、外地から引き揚げた教員・学生の受け皿として戦後創設された学校で、優秀な人材がそろっていた。朴は、東京帝大出身のマルクス経済学者、林要(かなめ)らに師事。学部、研究科(大学院)を経て助手となり、11年にわたって同大に在籍し、研究に打ち込む。

 そのままいけば、同大の教授になるか、故郷(後に韓国)に帰って、経済学の研究者として穏やかな人生が待っていただろう。だが、ふとしたことで始まった朝鮮総連(在日本朝鮮人総連合会)、そして北朝鮮との関わりが朴を激動の渦に巻き込み、「主体(チュチェ)思想」研究の日本における第一人者として、その学者人生をも大きく変えてゆく。

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