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【海峡を越えて 「朝のくに」ものがたり】(37)朝鮮初の女性パイロット 思いは遥か故郷の大空へ

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「思いは遥か故郷の大空」
「思いは遥か故郷の大空」

 『朝鮮交通史』(昭和61年、鮮交会)に、日本統治時代の「朝鮮出身操縦士名簿」(航空局発行、13年まで)が載っている。40人弱の朝鮮人の中で、女性パイロットが2人。その一人、朴敬元(パク・キョンウォン)(1901~33年)は、日本統治下の朝鮮で、初めて操縦士免許をとった女性であった。

 朝鮮・慶尚北道の大邱出身。東京の日本飛行学校を出て、3年5月に、操縦士2等の免許を取得している。当時の免許は、操縦の条件によって1~3等に分かれ、2等は、女性では最高の免許。日本人女性と合わせても3番目だった。翌4年7月には、朴を慕って来日した日本飛行学校の後輩女性、李貞喜(イ・ジョンヒ)がやはり2等免許を取得している。

 第1号となった朴の夢は故郷・朝鮮への凱旋(がいせん)飛行だった。8年8月7日、念願の愛機『青燕(あおつばめ)』(複葉単発機「サルムソン2A2型」)を手に入れた朴は勇躍、羽田を飛び立つ。大阪・福岡を経由して“海峡を越え”、朝鮮から満州へ向かうフライトだった。

 ところが、離陸後しばらくして通信が途絶え、現在の静岡県熱海市内にある玄岳の斜面に墜落してしまう。事故を知った付近の住民総出で捜索したが、朴の死亡が確認され、遺体は現地で荼毘(だび)に付された。事故は当時の新聞にも大きく取り上げられ、朴の夢は悲劇で終わった。

 2号の李貞喜もまた、朝鮮戦争(1950~53年)時に拉致され、北朝鮮へ渡ったと伝えられている。

 ■ワンパターンの反日

 朴敬元の物語は、戦後も続いてゆく。事故から70年近くたった平成12年、当時の首相、森喜朗(よしろう)と韓国大統領、金大中(キム・デジュン)による日韓首脳会談が静岡県熱海市で開かれる。2年後、その縁で熱海梅園に李朝時代の韓国庭園が造られ、その中に、日韓友好のシンボルとして「朴飛行士記念碑」が建てられることとなった。

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