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【海峡を越えて 「朝のくに」ものがたり】(36)蔚山(ウルサン)飛行場の栄枯盛衰 朝鮮の大空かけた旅客機

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 ◆飛行場長は後の日航社長

 もう一点、興味深い写真がある。

 8年4月、父、久栄が校長を務めていた蔚山小学校の奉安殿の前で撮った記念写真だ。奉安殿とは、天皇、皇后両陛下の御真影(ごしんえい)(写真)と教育勅語を納めていた建物のことである。

 奉安殿の前に整列した人の中に校長の久栄と並んで蔚山飛行場場長だった若手官僚の松尾静麿(しずま)(1903~72年)の顔がある。

 松尾は、旧制佐賀高から九州帝大機械工学科卒。民間企業を経て、逓信省に入省、朝鮮総督府航空官となり、蔚山飛行場長、大邱飛行場長などを歴任し、朝鮮とは縁が深い。戦後は、日本航空業界の復活に尽力し、日本航空の社長・会長などを務めた。

 岩下一家の写真には、自動車で到着した御真影を、たくさんの人々が道路に整列して恭しく迎えるところや、奉安殿の前に、教職員と児童が並んで立っている場面も残されている。この年に入学したばかりの鎮生もこの中にいたという。「奉安殿を新しくしたときの記念写真だと思う。松尾さんは当時30歳くらい。写真中央に写っているのを見ると、飛行場長の地位は高かったんでしょうね」

 民間の定期旅客便の中継地としての蔚山飛行場の“命”は短かった。

 12年、就航機の大型化にともない、中継地の役割は、慶尚北道の中心都市・大邱に移される。大邱飛行場は同年1月、約20万坪で開場、15年には約50万坪に拡張され、蔚山に取って代わる朝鮮内の拠点空港のひとつになった。

 蔚山飛行場は、定期旅客便が大邱に移った後は、陸軍の飛行場となった。600メートル滑走路と直角に交わる2本目の滑走路(600メートル)も建設されたが、戦後廃止され、住宅地となったという。=敬称略(文化部編集委員 喜多由浩)

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