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【昭和天皇の87年】衝撃の伊藤博文暗殺 その凶弾は、日本を対韓強攻策に走らせた

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【昭和天皇の87年】
衝撃の伊藤博文暗殺 その凶弾は、日本を対韓強攻策に走らせた

画=豊嶋哲志 画=豊嶋哲志

 伊藤なき後、韓国併合政策は武断派の元老、山県有朋と、その腹心の陸相、寺内正毅によって進められていく。伊藤は併合後も一定の自治権を残す構想を抱いていたが、山県らにそのつもりはなかった。病気療養中だった第2代韓国統監の曽祢荒助を更迭し、その後任を寺内が陸相のまま兼務した。

 明治43年8月22日、日韓併合条約が調印され、韓国は日本の一部となった(※2)。条約そのものは合法だが、韓国民の支持と協力をほとんど得られなかったのは、言うまでもない。

 以後、朝鮮半島の近代化は急速に進められた。学校が増設されて識字率が上昇し、インフラ整備や土地改良によって商・工・農業いずれも発達し、庶民の生活水準は向上した。

 反面、自治権は限定され、併合への反対活動は弾圧された。このため抗日機運は解消されず、大正8年の3・1独立運動などにもつながっていく。日本は多大な軍事的、財政的負担を強いられ、それは先の大戦時まで変わらなかった。

 なお、日韓併合の1年半後、中国では辛亥革命により清朝が崩壊する。アジアの歴史の歯車が、音を立てて回転しはじめたのだ。

 このとき、皇太子となった裕仁親王の生活も、大きく変わろうとしていた--。(社会部編集委員 川瀬弘至 毎週土曜、日曜掲載)

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