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【海峡を越えて 「朝のくに」ものがたり】(35)日本が近代化した金融制度 高利貸に苦しむ朝鮮農民救う

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 《(大韓帝国時代は)経済の発達極めて幼稚で、貨幣制度乱雑を極め、高利の金貸し業者が跋扈(ばっこ)した…民衆は憐(あわ)れむべきもので、官吏と地主と高利貸の三大専制王に責められ…生き血を吸うもののために困殺(こんさつ)されんとしていた。かくして民衆の意気も、経済も、産業も、全く凋落(ちょうらく)衰微してしまっていた》と。

 農民を対象にする金融組合制度は、ドイツやベルギーの農村金融を参考に、相互扶助的な組織を目指したものだ。組合員は原則として朝鮮の小作農で、融資面では「成牛1頭分に相当する50円(後に100円)」を限度に低利資金を貸し付ける。当初は、農業の技術指導や種子や肥料、農機具の販売・貸与、農作物の委託販売なども行い、イメージとしては農協に近い。

 明治40年のスタート時には朝鮮全土に30の組合を設立、日本人理事に就任したのは30人全員が、後の重松のように東洋協会専門学校を出た若者たちだった。

 この低利融資は、荒廃していた朝鮮の農村を再生し、前近代的だった農業を大きく発展させる。

 『朝鮮金融組合史』(昭和4年、同金融組合協会刊)にある「貸付金を得て幸福に至る」という組合員・白仁順の例を紹介してみたい。いささか、講談調の記述で宣伝めくが、以下は、その大意である。

 《(朝鮮の)奸悪(かんあく)な地主の小作人であった白は13人の家族を抱えて生活費にも事欠き、地主に借りた金は積もり積もって大金に。その上、病気に罹(かか)り、地主から冷酷にも小作権を剥奪・退去を命じられてしまう…。困り切った白は紹介されて組合員となり、50円の貸し付けを受ける。一部を地主に返した後、牛や鶏卵などの商売を始めて貯蓄にも励んだ結果、数年後には牛10頭、田1町歩、資産500円を持つに至った》と。

 朝鮮全土に張り巡らされた金融組合網は、順調に組合数、組合員、貸付額を伸ばしてゆく。さらに、第一次大戦後の好景気を受けた大正7(1918)年の法令改正によって、農民だけでなく、「都市金融組合」として商工業者にも貸し付け(限度額300円)を行うようにもなった。

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