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【本郷和人の日本史ナナメ読み】大逆事件をめぐって(上)革命闘争はまず恋愛から? 奔放に生きた管野スガ

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 ぼくはふとしたことから大石のことを調べていたのですが、そこで管野スガの事績に行き当たりました。彼女の思想とか社会活動の評価はぼくの手に余るのですが、なにしろビックリしたのは、恋愛に対する積極性です。大杉栄をめぐっての進歩的な女性たちの闘いは知っていましたが、スガさんもすごい。

 彼女は明治14年、大阪に生まれました。19歳のとき、東京深川の裕福な商人と結婚しましたが、郭(くるわ)通いの夫に嫌気がさして離婚。大阪に帰って宇田川文海(ぶんかい)という人に文学を学び、彼がオーナーである日刊紙「大阪朝報」の記者となりました。このころは女権拡張を旨とする記事を書いています。なお、宇田川とはそういう仲だったそうですが、否定的な見解もあります。

 その後、婦人運動から社会主義運動に転じ、堺利彦の知遇を得て、堺から毛利柴庵(さいあん)を紹介されます。既婚者であった毛利と交際をはじめ、彼が主筆を務める和歌山県田辺の「牟婁(むろ)新報」社に入社。同僚となった荒畑寒村と同棲(どうせい)を始めます(田辺や大石のいた新宮など、南紀は社会主義の勢いの強い地域だった)。ついで上京して商業新聞「毎日電報」に就職後、40年に荒畑と結婚。

 翌年、筆禍事件で入獄していた山口孤剣(こけん)の出獄を祝う会が発端となって、社会主義者弾圧事件である「赤旗事件」が起きました。祝う会に出席していた夫妻の内、荒畑は入獄。スガは過酷な取り調べののち釈放。このとき彼女に救いの手を差し伸べたのがアナキストであった幸徳秋水で、2人は同棲生活に入ります。幸徳にも妻がおり、今でいうダブル不倫でしたから、世の注目を浴びました。スガは獄中の寒村に離縁状を送って離婚。この一件は、同志の間でも評判がよくなかったそうです。そして、やがて2人は湯河原で湯治療養(スガは結核を患っていた)しているところを逮捕され、ともに死刑判決を受けることになったのでした。

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