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【話の肖像画】ゲームクリエーター・田尻智(3)フリークが集まった

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 ほかにも「ゲームフリーク」を読んで集まった仲間たちが編集に加わって、杉森君がアパートで1人暮らしを始めると、そこにみんな出入りするようになり、毎日毎日、ゲーム、ゲームでした(笑)。

 〈そんな生活を、両親はどう思っていたのか〉

 僕が部屋に引きこもってゲームをしていたら、父も母も心配したでしょうね。しかし僕はゲームの魅力や将来性などについて、家の中でも積極的に話していたから、ある程度は理解してくれていたんじゃないかな。母や妹も「ゲームフリーク」のホチキス留めなどを手伝ってくれましたし…。もっとも小遣いは多くなかったから、ゲーム代を工面するのにいつも苦労していましたけれど(笑)。

 〈東京高専卒業後は、プロのゲームライターとしても活動するようになる〉

 「ゲームフリーク」を創刊した年に任天堂からファミコン(ファミリーコンピュータ)が発売され、急速に普及し始めた。一般の出版社も「ファミコン通信」などのゲーム専門誌を発行するようになり、在学中からアルバイトで執筆していました。当時はゲームライターが少ないから依頼も多く、新作紹介や攻略法などのほか、コラムも書かせてもらった。一方で「ゲームフリーク」の発行も続け、収入が安定したので編集部を都心に近い下北沢(東京都世田谷区)に移したのです。忙しかったけれど、充実していました。

 〈そして、新たな夢が芽生えはじめる〉

 ゲームの魅力を知れば知るほど、こうすればもっと面白くなるとか、こんなゲームがあれば売れるとか、考えるようになりますよね。実際、ゲーム会社に提案もしたんですが、採用されませんでした。それで思ったんです。だったら自分たちでつくればいいじゃないかって…。(聞き手 川瀬弘至)

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