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【明治の50冊】(27)福澤諭吉『福翁自伝』 希代の啓蒙家誕生の軌跡

大分県中津市にある福澤諭吉旧居(国指定史跡)。福澤は19歳で長崎に遊学するまでこの家で暮らした(小野晋史撮影)
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 近代日本を代表する啓蒙(けいもう)思想家、福澤諭吉が晩年に自らの生涯を口述筆記させたのが、明治32(1899)年刊行の『福翁自伝』だ。封建社会から近代国家に向かう激動期を思想的にリードした当人による回想は、自伝文学の傑作として今も読み継がれている。

 刊行当時、福澤は64歳。幕末以来の著述活動はもとより、慶応義塾の創設や高級紙「時事新報」の創刊など、教育者や経営者としても功成り名遂げた存在だった。その波瀾(はらん)万丈の生涯を、ユーモアを織り交ぜた洒脱(しゃだつ)な口調で語っていく。

 福澤は大分の貧しい下級武士の家に生まれた。有能で向学心にあふれた父は学者になる望みを抱いていたが、厳しい身分秩序の前に果たせず、不本意かつ薄給の仕事をあてがわれたままその生涯を閉じた。有名な「門閥制度は親の敵(かたき)で御座る」というくだりは、亡父の無念に思いを致しての言葉だ。個人の能力や希望とは無関係に、生まれですべてが決まる社会への疑問が、そこに兆している。

 青年になった福澤は、長崎遊学や大坂・適塾での蘭学修業を経て江戸に上り、英学を猛勉強して米国へ渡る。米側が案内したメッキ工場や電信などの科学技術については既に輸入書で学んだ通りで驚かなかったが、女性尊重などの風俗や政治・社会制度の違いには仰天した。

 初代米大統領、ワシントンの子孫は今どうしているのか、との福澤の質問に対し、米国人が詳しく知らないと返答したエピソードは、本書中でも特によく知られている部分だろう。

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