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【モンテーニュとの対話 「随想録」を読みながら】〈33〉人には向き不向きがある

マックス・ウェーバーの「仕事としての学問 仕事としての政治」と石破茂さんの「政策至上主義」
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現代にも響く99年前の言葉

 1919年1月28日、ドイツのバイエルン自由学生同盟が企画した講演会が開かれた。前年11月に第一次世界大戦が終結、ドイツは革命によって帝政が崩壊、共和制に移行したばかり。講演会の10日前からは対独強硬論者であるフランスのジョルジュ・クレマンソー首相を議長に、パリで戦後処理をめぐる講和会議が始まった、そんな時期だ。多くの読者はすでにお気付きだろう。この日、学生を前に講演したのはドイツの社会学者、54歳のマックス・ウェーバーである。演題は「職業としての政治」だ。

 エリート官僚の相次ぐ不祥事、障害者雇用をめぐる中央省庁の不正など、国民の官僚に対する信頼は地に落ち、かつ自民党総裁選が実質的に始まったこの時期に、ウェーバーの古典を再読するのも悪くないと考え、今年刊行された野口雅弘さんによる新訳(『仕事としての学問 仕事としての政治』講談社学術文庫)を読んでみた。

 「近代官僚制」と野口さんが小見出しを付けた部分にこんな記述がある。権力闘争とポストの配分に奔走する政治家のもとで、実質的に国家を機能させてきたのが近代官僚制である。

 《近代官僚制は、特別に長期の準備的な教育によって専門的な訓練を受けた優秀な精神労働者の集団へと発展してきました。潔癖さを重視するため、高度に発展した身分的な名誉が彼らにはそなわっています。こうした名誉がなければ、恐ろしい腐敗と低俗な俗物根性という危険が、運命としてぼくたちの上を漂うでしょう。そして、この危険は国家装置の純粋に技術的な業績をも脅かすことにもなるでしょう》

 明治維新以降、わが国は欧州の官僚制度を範として、促成栽培的に官僚を養成してきた。それでも国家装置が機能したのは、下手をすれば国の独立を失うという危機感をあらゆる官僚がいだき、骨身を惜しまず学び、働いてきたからだろう。そんな彼らの気概に対する国民の尊敬もあった。

 いまはどうだろう。官僚の促成栽培は相変わらず。戦後の平和にどっぷりと浸ってしまい、体を張って国難に対処しようとする気概を持った官僚がどれほどいるのだろう。公教育の劣化の一因が、子供の親が教師をバカにするようになったところにあるように、国家装置のほころびも、国民が官僚を軽視するようになったところに一因があるように思う。名誉もなく職責に比して低すぎる報酬。これでは無理だ。

 フランス国立行政学院のような官僚養成の高等教育機関を創設して真のエリートを育て、それに見合った待遇を保証していかない限り、わが国の国家装置はどんどん劣化して、早晩国は立ち行かなくなるに違いない。もはや東大法学部の時代ではないだろう。

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