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【昭和天皇の87年】乃木希典の殉死 明治の精神は「天皇に始まつて天皇に終つた」

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 13日、大喪儀の夜、午後8時に号砲が轟き、5頭の牛にひかれた明治天皇の霊轜(れいじ)車(※2)が皇居車寄から青山練兵場の葬場殿に向けて出発したそのとき、乃木は妻の静子とともに自刃した。

 警視庁の「死体検案始末書」によれば、軍服姿の乃木はシャツのボタンを外し、軍刀で腹を十字に切り、再びボタンをとめてから、喉を深く突いて絶命した。作法にそった、見事な切腹だった。

 室内の小机には明治天皇の御真影とともに複数の遺書が置かれていた。その中には静子に宛てたものもある。乃木は当初、ひとりで自刃するつもりだったのだろう。だが、二子を失っている静子は、私だけ残さないでほしい、一緒に死なせてほしいと懇請したのではないか。静子は乃木と対座し、乃木の自刃とほぼ同時に懐剣で心臓を貫いた。

 うつし世を 神さりましし 大君の みあとしたひて 我はゆくなり

 乃木の辞世の句だ。ほかに辞世1句と静子の辞世が残されていた。

 享年六十二、静子は五十二-。家の外では、明治天皇の霊轜車を中心とした大葬列が、沿道を埋めた数十万の市民に見送られながらゆっくり葬場殿へと向かっていた。

 翌14日午前《(裕仁皇太子は)乃木自刃の旨並びに辞世などをお聞きになり、御落涙になる》(昭和天皇実録3巻184頁)。

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