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【海峡を越えて 「朝のくに」ものがたり】(34)統治四半世紀の「発展」 日韓併合で朝鮮民衆は救われた

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 《朝鮮の工業は、現在においては幼稚である。しかしながら、繊維および軽金属工業の原料は豊富であり…石炭、水力発電、労力なども潤沢かつ安価に供給し得る…母国(日本)工業が圧迫を感ずる日もあまり遠き将来にあらざるべし》(8年7月)

 再び、『25年!朝鮮は何を得たか?』によれば、李朝末期の朝鮮の工業は、小規模で、産額は小さく、技術は幼稚、製品すこぶる粗悪…とひどい書きようである。潜在的なポテンシャルは高いのに、商工業は蔑(さげす)まれ、産業らしい産業もない。

 その朝鮮の工業が「日本を追い越す日も近い」というのだから、宇垣の“大風呂敷”かと思いきや、官民の積極的な投資によって紡績、製鉄、セメント、硫安などの大規模工場が次々と建設。8年の工場数は約4800、従業員数は約12万人、生産品価額は約3億6700万円…こちらも四半世紀で急成長する。

 ◆台湾並みは果たせず

 朝鮮経営の収支は常に「赤字」であり、日本は一般会計などから毎年巨額の“持ち出し”で支えた。

 《(天皇)陛下より…台湾のように財政の独立もできるのか、との御(ご)下問がありました。余(宇垣)は今後、大(おおい)に努力致しましたならば、あまり遠からざる将来において、台湾並みの財政独立は難事にあらずと存じます》(昭和8年12月)と“大見えを切った”が、こればっかりは、終戦まで果たせなかった。税率は低く抑えたのに、朝鮮近代化のための資金は、いくらでも必要だったからである。

 その成果をデータで見てみよう。日韓併合(明治43年)時と「文化政治」開始後の大正10年ないし11年との比較である。朝鮮全産業の生産額・約3億600万円→14億7千万円(約5倍)▽輸(移)出入額・約6千万円→約4億7千万円(約8倍)▽道路延長は約13倍となった。

 四半世紀となれば、さらに数値は跳ね上がる。

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