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【明治150年】第4部 万博(2)消えた東京万博 世界に 大久保利通の執念

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 大久保の夢だった万博は、財政難などで延期を繰り返した上、昭和15年の開催が決定したが、戦争のあおりで消滅した。

 戦前は全てが国威発揚のためだったとの説がある。しかし全てではない。「東京万博」は皇紀2600年記念の冠がついていたが、経済界が中心となって万博開催を働き掛けたのは、記念事業が計画されるより前の昭和4年だった。

 戦争までの東京は「銀座はおしゃれな服装の女性でにぎわい、百貨店の建設ラッシュだった」(増山さん)。日本大文理学部の古川隆久教授も「東京万博」は「国威発揚より、都市改造や観光客誘致のためだったことが大きい」と語る。

 万博では、欧米でも始まっていなかったテレビの試験放送や、新幹線につながる高速列車の展示計画もあった。予定通り開かれていれば、「戦後の高度経済成長が20年ぐらい早まっていただろう」(古川さん)。

 戦争で消えた幻の万博が大阪で実現したのは30年後、高度経済成長を経た昭和45年だった。

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