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【海峡を越えて 「朝のくに」ものがたり】(33)日本は「供与」し民生を安定・向上させた 「南綿北羊」の農業振興政策

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【海峡を越えて 「朝のくに」ものがたり】
(33)日本は「供与」し民生を安定・向上させた 「南綿北羊」の農業振興政策

昭和9年4月、緬羊を積み、朝鮮へ向けて豪シドニーを出航する「朝陽丸」。曾野近一(右から2人目)も同乗した(曾野豪夫さん提供) 昭和9年4月、緬羊を積み、朝鮮へ向けて豪シドニーを出航する「朝陽丸」。曾野近一(右から2人目)も同乗した(曾野豪夫さん提供)

 ◆収奪するものがない

 2年前、韓国のメディアは、この「南綿北羊」について、日本統治時代の記録映画『北鮮の羊は語る』(昭和9年)などの映像資料が見つかったというニュースを一斉に報じた。

 映画には、曽野近一が同行したルートそのままに、オーストラリアから船で輸入された緬羊が荷揚げされ牧場で飼育されたこと、毛を刈って生地を織る様子などが記録されていた。「羊毛輸入のために、毎年2億円が使われる。輸入代替のために努力しよう」という字幕もあったという。

 ただし、韓国メディアのトーンは、もちろん(?)ネガティブだ。内地(日本)でもほとんど羊毛の生産ができず、多くを輸入に頼るしかない。だから、朝鮮の安い労働力を利用して日本製造業の原料供給地にする目的で、南では綿花を、北では羊を育てるようにした…つまり、何でもかんでも“日帝による収奪”にしてしまうのだが、果たして本当にそうか?

 日韓併合(明治43年)以前の朝鮮には産業らしい産業もなかった。儒教の思想によって商工業は蔑視され、農業では森を焼いて肥料にする「火田民」(焼き畑農業)という前近代的な農法が多くみられた。つまり、「収奪」したくともするものがない。日本がやったのは「供与」して「育成」することだった。内地の一般会計からも巨額の資金を回し、優秀な人材と技術を供給し、せっせと近代化を進めたのである。

 第1次産業分野では、はげ山に植林をし、灌漑(かんがい)設備をつくり、干拓や開墾で耕地を増やす。東洋一の化学肥料工場を建て収量を上げる。とりわけ、米は「朝鮮産米増殖計画」を定めて増産に努め、大正10年の年産額は約1430万石(併合当時の約40%増)、品質も向上した。朝鮮の農業は効率化、近代化され、あらゆる指標が飛躍的に伸びたのである。

 そこに、朝鮮を兵站(へいたん)基地とする国策がなかったとは言わない。だが、日韓併合前のカネ・コネの政治腐敗によって、それこそ朝鮮の官吏らに「収奪」されていた農民の暮らしははるかに改善された。その証拠に日本統治時代の間に農民が約8割を占める朝鮮の人口は急増(2倍弱)している。

 人口増には、英国の女流旅行作家の『朝鮮紀行』で“中国の都市に次ぎ世界で2番目にひどい”と酷評されていた街や住民の「衛生環境改善」も貢献している。近代医学の医師などほとんどおらず、感染症の蔓延(まんえん)にたびたび苦しんでいた朝鮮全土に病院を建て、各都市に上水道を設けたのも日本である。例を挙げればキリがない。

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