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【昭和天皇の87年】観察力と記憶力は抜群 “科学者天皇”の片鱗も

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 8月28日《西洋罫紙(けいし)に「てふとがとせゝり」(蝶と蛾とセセリチョウ)を題に、鉛筆にて「本州に居るもの」とお書きになり、名和昆虫研究所工芸部製作「蝶蛾鱗粉(りんぷん)転写標本」により五十種ほどの名称を抜粋し、分類してお書き取りになる》(同巻50頁)

 のちに生物学研究で10冊以上の専門書を著す“科学者天皇”の素地は、この頃から備わっていたようだ。

 生涯を通じての相撲好きも、初等学科時代から本格化していた。

 43年3月6日《皇后より拝領のゼンマイ仕掛けの力士玩具などにてお遊びになる。なお、この頃親王は御学友・側近等と相撲を取られるほか、御自ら四十八手を御考案になるなど、相撲に格別の御興味を示される》(同巻15頁)

 同年6月6日《雍仁(やすひと)親王・宣仁親王と共に馬車にて両国の国技館にお成りになる。東京大角力(すもう)協会員等の奉迎を受けられ、(中略)貴賓席において力士の土俵入り及び取組を御覧になる》(同巻33頁)

 角力観戦に付き添った側近の記録によれば、裕仁親王はこの日、当日の取組表を手元に置き、時々「最近角力便覧表」を取りだしては東西力士の年齢、身長、体重、得意技を比較して勝敗を予想するなど、「格別御興味深ク御観察」していたという。

 大関国見山の熱戦の後、裕仁親王は言った。

 「国見山、はじめ『突出し』で後で『咽喉輪(のどわ)』よ。そうしてまた突いたの」

 一瞬のうちに決まり手を正しくみてとった観察力に、側近は舌を巻いた。

 もう一つ、当時の昭和天皇実録にたびたび記されていることがある。両親である皇太子同妃をはじめ、家族との触れ合いだ--。(社会部編集委員 川瀬弘至 毎週土曜、日曜掲載)

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