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【話の肖像画】小説家・真山仁(2)新聞記者になった理由は

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 執筆に取り組んだのは高校2年の夏休みです。原稿用紙550枚の作品を書いて「江戸川乱歩賞」に応募しました。高校3年の時はずっと小説を書いていましたね。社会に対する違和感を持っている、そのことを訴えるツールとして小説があるのだと思い、小説家になろうと決めました。

 チャーリー・マフィンシリーズの英国の作家、ブライアン・フリーマントルもそうですし、山崎豊子さんもそうなんですが、自分の好きな作家はみんな記者上がりだったんです。なぜ好きなのか考えたのですが、それは記者時代に培った取材力と人脈、それに分かりやすい文章だと。人に伝えるためにものを書くというのが最初からあったんですね。それで、まずは新聞記者になろうと決めたのです。

 〈同志社大学法学部で政治学を専攻し、卒業後は中部読売新聞(現・読売新聞中部支社)に入社。小説家への道を着実に歩み出しつつあった〉

 260人のうち3人だけ採用という難関でしたが、運良く拾ってもらえました。初任地は岐阜支局。周囲の人間は「サツ回り」(警察担当)が大嫌いだったのですが、私は夜回りが大好きで、警察だけでなく、地検の三席(検事)の部屋にも入り浸っていました。凶悪犯罪を捜査する強行犯係の警部にかわいがられましたが、よく言われたのは「人より姿勢を低くして取材しろ」ということです。

 例えば取材相手が玄関口で座ります。私も座ると失礼かと思ってそのまま立っていると、「こういう立ち位置では俺はしゃべらない」と言うのです。彼は「常にへりくだれ、偉そうにするな、分からないから来ているということを意思表示しろ」と言っていました。あの警部の言葉は、小説家になった今でも徹底して実践しています。(聞き手 大竹直樹)

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