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【話の肖像画】史家・渡辺京二(3) 「西郷どん」たちが見た夢

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 こうした農民たちの心情を彼らの目線で理解していたのが西郷でした。小さな世界のなかで正直に働き、仲間と苦楽をともにしながら、実りある生活を営んでゆく。西郷は、そんな民の姿や江戸時代以来の伝統を併せ持つ農本的な社会に価値を見いだしていました。こういったまなざしは、たとえ政治家として非常に優秀であっても、同じ元勲の大久保利通(としみち)や木戸孝允(たかよし)にはなかったものでした。

 〈宮崎滔天と北一輝。前者は中国の「国父」である孫文と終生の親交を結び、中国革命に協力を惜しまなかったがために波乱の生涯を送り、後者は直接の関与はなかったにもかかわらず、二・二六事件の思想的首謀者として処刑された。渡辺さんの著作によると、2人は西郷の系譜に連なるという〉

 北は西郷や西南戦争について矛盾した見解を残しています。二・二六事件で逮捕される前には「自分は、西郷のように私学校生徒らにかつがれて城山で野垂れ死にし、あげくの果てに、上野の森で乞食(こじき)の親分のような恰好(かっこう)で立たされている馬鹿(ばか)ではない」などと豪語しています。ただ、基本的には流産した明治維新をやり直そうとする歴史的文脈の源流として西郷をとらえていたはずです。

 前述した民へのまなざしという点では、西郷を最も受け継いでいるのは滔天でしょう。彼は終生、農民を仲間とし、最後は故郷の熊本県荒尾村(当時)の村長になりたいと言っていたくらいですから。北は抜群に頭がいいから明治国家の分析は卓越しているけれども、相当うぬぼれも強くて…。個人的には滔天のほうが好きですね。(聞き手 関厚夫)

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