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【解答乱麻】スマホに「使われる」時代にこそ「考える」道徳の大切さ 教育評論家・石井昌浩

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 人生は迷いの連続だ。いつの世も、いずれかの選択を迫られ自らの判断に責任をとれる大人になることを求められる。複雑で多様な価値観がまじわり合う今日の社会は、誰にとっても答えの見えない時代だといえる。

 今どきの人は、あふれかえる情報に囲まれている。人はすでに、情報なしでは暮らせない社会に生きているが、しかし、自分の頭で落ち着いてものごとを考え判断する時間を持っているのだろうか。町中を歩きながらでも、電車の中でも、片時もスマホを離さない人の姿を見るにつけ、いささか心配になる。

 すぐそばにいる人を無視して、遠くの仲間との会話を優先させる人があまりに多い。道具であるはずの携帯端末に人が使われているような逆転現象は、考えてみると、かなり危ない世相ではないのだろうか。

 道徳的に危ない社会の到来に即応するかのように、今春から小学校で、来春から中学校で、道徳が正式な教科となる。ここで、道徳の大切さが説かれ始めた遠い昔にさかのぼって、道徳とは何かを考えてみたい。

 「人間はいかに生きるべきか」を探求しながら生涯を終えた人物が、古代ギリシャの哲学者であるソクラテスだ。ソクラテス以前の科学の対象は、人間を取り巻く世界、たとえば自然や宇宙に目を向け、万物の根源は何かなど、主として自然科学の分野を幅広く探索していた。

 しかしソクラテスは「汝自身を知れ」「知恵とは無知の自覚」など、初めて人間に目を向けた。そして、「ただ生きるだけでなく」「よく生きることは何か」という課題を人々との対話を通して探究し続けた。

 ソクラテスは、「人間は、自分一人では生きていけない。だから、自らの主体性を保ちながらよりよい他者との関わりを求め、協力し合い生きていく知恵を身につける必要がある」と人々に説いた。

 ところで、昭和23年、当時の文部省が発行した社会科の教科書では、「民主主義は人に言われてその通りに動くのではなく、自分の判断で、正しいものと正しくないものを、かみ分けられるようになること。それが民主主義の根本理念である」と、述べている。この理念は遠くギリシャの時代から伝えられてきた考えであり、今に生きる普遍の真理でもある。

 これまでも、昭和33年から「道徳の時間」という教科外の授業が特設されたが、人間の自律を図る面で十分に機能しているとは言えなかった。教科でないために、学校や教師により取り組みに差があることや、「結論が見え見え」などの批判が絶えなかった。

 実際、「道徳の時間」では、いじめ防止に正面から取り組む気迫に欠けていた。「人の痛みが分かる人間に」「人の命ほど大切なものはない」などの、お題目を唱えるだけで、いじめから逃げてきたのだ。

 そもそも道徳の教科化が急浮上したのは、平成23年の大津市立中学校男子生徒いじめ自殺事件が契機だった。改めて32年前の東京・中野富士見中の鹿川裕史君、24年前の愛知・西尾市東部中の大河内清輝君の、社会に重大な衝撃を与えた事件の教訓を忘れてはならない。

 教科化に伴い心すべきことは、押しつけ、強制しないことである。考え、議論する授業で子供の自律心を育てることをめざす「特別の教科 道徳」で、押しつけたり、強制したりするのは、自己矛盾そのものだ。

 「答えの見えない時代に生きる」という複雑で難しい課題を引き受けるのが道徳教育の授業である。考えを出し合い議論を深め、おおらかに挑戦しよう。

                  ◇

【プロフィル】石井昌浩

 いしい・まさひろ 都立教育研究所次長、国立市教育長など歴任。著書に『学校が泣いている』『丸投げされる学校』。

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