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【昭和天皇の87年】遊び相手と戦争ごっこも… あらわとなった“名将”の資質

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 そんな裕仁親王の幼稚園時代は、充実していたといえるだろう。

 東宮御所と皇孫仮御殿とは庭つづきで、両親である嘉仁皇太子と節子皇太子妃の愛情を身近に感じることもできた。昭和天皇実録には《皇太子・同妃、典侍柳原愛子(なるこ※2)等を伴い御参殿につき、(裕仁親王は)雍仁親王及び御相手とのお遊びの様子を披露される。鬼事の際には、皇太子・同妃も招き入れられ、御一緒にお遊びになる》(1巻137頁)などの記述も少なくない。こうした触れ合いは、学習院初等学科1~2年生の頃までひんぱんにあったようだ。

 嘉仁皇太子の学友で、のちに侍従次長を務める甘露寺受長(おさなが)が振り返る。

 「大正さま(嘉仁皇太子)は、ごくお気軽なお方で、縁のほうからドンドン(皇孫仮御殿の敷地内に)おはいりになった。妃殿下もご一緒だった。そして、迪宮(みちのみや)さまや、淳宮さまや、光宮(てるのみや・高松宮)さまや、お学友たちにまじって、鬼ゴッコやしっぽ取りなどをしてお遊びになった。妃殿下も、われわれ侍従も、武官も、養育掛も、女官も、いっしょになってやったこともあった。まったく楽しい雰囲気だった」

 もっとも、家族がひとつ屋根の下で一緒に暮らしているわけではない。夏と冬は栃木県日光や静岡県沼津に長期滞在するため、離ればなれになる。両親に甘えたい盛りに、自由に会えない寂しさはあっただろう。

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