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【昭和天皇の87年】幼少期から抜群だった記憶力 弟思いの性格も

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 同年10月13日《午後、裕仁親王・雍仁親王の御相手として参殿の華族女学校幼稚園児久松定謙・稲葉直通・千田貞清・山岡重幸の四名(※1)及び付き添いの学監下田歌子・助教野口ゆかに謁(えつ)を賜(たま)い、御庭にて御相手と御一緒にお遊びになる》(昭和天皇実録1巻99頁)

 同月21日《午後、(裕仁親王は)雍仁親王と共に、御相手を伴い東宮御所に御参殿になり、皇太子・皇太子妃へ御相手を御紹介になる》(同巻100頁)

 この頃つくられた「皇孫御養育掛分課内規」によれば、御相手は「華族及宮内高等官ノ子弟ニシテ皇孫ト御同年齢ノ者」から選ばれ、「皇孫御遊戯等ノ御合手ヲ為ス」とされた。以後、御相手は少しずつ増え、交代で遊びにくるようになる。

 それまで裕仁親王の同年代の遊び相手は、1歳下の雍仁親王だけだった。大勢の子供たちが戦争ごっこなどに興じるのを、遠くに見ているしかなかった。

 しかし、これからは違う。

 昭和天皇実録には、両親王が御相手と一緒に芋掘りをしたり、鬼ごっこをしたりする様子がしばしば記されている。子供は順応が早い。両親王はすぐに打ち解けたことだろう。

 一方、養育担当者からみて、好ましくない影響もあったようだ。

 39年6月14日《頃日、御相手の用いる「此やつ」「ヤイ」「ウン」等の言葉を御使用につき、皇孫御養育掛長丸尾錦作より、御使用を慎むべき旨の言上を受けられる》(同巻136頁)

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