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【話の肖像画】富士そば会長・丹道夫(3)店名は退院時に見た風景から

開業してまもないころの富士そばの店内(ダイタンホールディングス提供)
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 〈友人と共同経営していた不動産会社は順調に業績を伸ばし、従業員が約1200人に〉

 不動産業は右肩上がりでした。でも、私の心は冷え切っていました。組織が充実し、やることがないのです。会社に行くと考えるのは「今日は何を食べようかな」。後は身だしなみを整えるくらいです。

 そこで、私は役員たちに飲食業を始めることを提案しました。飲食業は一度に大きくもうかることはありませんが、日銭が入ってくるからです。“もしも”のときのための保険のようなものです。

 東北地方を旅行したとき、駅の構内で営業していた立ち食いそば屋を見てピンときました。おばさん1人で切り盛りしています。そこへ次々と客が訪れて、サッと出てくるそばをすすってスーッと去っていきます。東京ではあまり見かけないスタイルですが、忙しい人が多い東京でこそ、もうかるのではないかと思ったのです。

 〈昭和41年、不動産会社の事業として立ち食いそば店「そば清(せい)」を始める。47年、再び何か打ち込めるものを求め、5店を引き継ぎ、独立した〉

 自信はありましたが、なかなか売り上げが伸びません。手を広げ、別の飲食店を開いたりして、焦りながら働いていたらオーバーワークに。入院し、体を動かすことを禁じられました。そば清のことが気になって仕方ないのに、何もできません。「負けてたまるか」と戦い続けてきた私の人生で、あれほどつらい思いをしたことはありません。同室の入院患者は夜になるとグーグー寝ますが、うらやましいと思いました。

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