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【海峡を越えて 「朝のくに」ものがたり】(30)政治腐敗蔓延の李朝末期 日本は「誠意」を持って「奮闘」した

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 2つの見聞録は、いくつも共通しているのだ。絶望的なほど、立ち遅れた近代化、蔓延(まんえん)する腐敗と不正、硬直した封建社会…。イザベラ女史は、朝鮮の良さや愛着も示しつつ、こう結論付けた。《朝鮮には、その内部から自らを改革する能力がないので、外部から改革されねばならない》

 その外部の担い手になりつつあった李朝末期の日本の対応について、イザベラ女史は閔妃(みんぴ)殺害事件などを痛烈に非難する一方で、次のように見ていた。《私は日本が徹頭徹尾誠意を持って奮闘したと信じる。経験が未熟で、往々にして荒っぽく、臨機応変の才に欠けたため、買わなくともよい反感を買ってしまったとはいえ、日本には朝鮮を隷属させる意図はさらさらなく、朝鮮の保護者としての、自立の保証人としての役割を果たそうとしたのだと信じる》と。

 ◆武断政治は法治主義

 このように、極めて困難な状況から始まった日本の朝鮮統治(日韓併合は1910~45年)は、その政策的な方針から、おおむね3つの時期に分けられる。

 朝鮮の改革・近代化に道筋をつけた、いわゆる「武断政治」の時期(1910年代まで)▽大規模な抗日・独立運動「三・一事件」(大正8年)後に、緩やかな統治政策に舵(かじ)を切った、いわゆる「文化政治」の時期(1920年代から30年代半ばころ)▽日中戦争が始まり(昭和12年~)、いや応なく、日本が戦時体制に入り、皇民化政策を浸透させてゆく時期(終戦まで)の3つだ。

 初期の「武断政治」はその言葉から“悪辣(あくらつ)な”イメージを抱きがちだが、事実はそうではない。

 冒頭の見聞録にあったように政治腐敗が横行し、近代化から取り残された当時の朝鮮を根本から立て直すために、日本は巨額の資金を投入して、ほとんど「ゼロ」からインフラ(鉄道、道路、港湾など)を整備、学校や病院を建て、農業や産業を振興させてゆく。その道筋をつけるのに、ある程度の“腕力”も必要だったということだろう。

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