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【海峡を越えて 「朝のくに」ものがたり】(30)政治腐敗蔓延の李朝末期 日本は「誠意」を持って「奮闘」した

民族衣装を着た朝鮮の女性(横山たか子さん提供)
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 《北京を見るまで私はソウル(漢城・京城)こそ、(当初は)この世で一番不潔な街だと思っていたし、紹興へ行くまではソウルの悪臭こそ、この世で一番ひどい臭いだと考えていたのであるから! 都会であり首都であるにしては、そのお粗末さは実に形容しがたい。礼節上2階建ての家は建てられず、従って推定25万人の住民は主に迷路のような横町の「地べた」で暮らしている…》

 19世紀末に李朝末期の朝鮮を訪れたイギリスの女流旅行作家、イザベラ・バードが書いた『朝鮮紀行』の〈首都の第一印象〉の項にこう記されている。

 街の汚れは後に改善されたというが、政治腐敗はひどかった。

 《政治腐敗はソウルが本拠地であるものの、どの地方でもスケールこそ小さいとはいえ、首都同様の不正がはびこっており、勤勉実直な階層を虐げて私腹を肥やす悪徳官吏が跋扈(ばっこ)していた…堕落しきった朝鮮の官僚制度の浄化に日本は着手したのであるが、困難極まりなかった…朝鮮には階層が2つしかなかった。盗む側と盗まれる側である》

 イザベラ女史は、当時の日本についても、国土の美しさや治安の良さを称賛する一方で、貧相な外見などを辛辣(しんらつ)に指摘しているから、西洋人の「視線」があったかもしれない。

 では、ほぼ同時期に日本人の本間九介が記した『朝鮮雑記』も紹介しておこう。

 《(朝鮮の)官人に盗賊でないものはいない…あとを引き継いでやってくる官人もまた盗賊なのである…ああ、彼ら(農民ら)の境遇は、まったく憐(あわ)れむべきものだ》(「官人は、みな盗賊」から)

 本間は、中国のみをひたすら信奉する朝鮮の知識人の姿も揶揄(やゆ)している。

 《朝鮮の士人(知識人)は、支那を呼ぶのに、常に中華と称し、その一方で自らを小華と称している。そこで私が…大華の人であると答えたら、彼らは、それを咎(とが)めて傲大(ごうだい)だと言うけれども、傲大であることと卑小であることの、いずれがましだというのだろう》(「大中小華」から)

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