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【海峡を越えて 「朝のくに」ものがたり】(28)行け!朝鮮開発には人が要る 近代化に身を投じた若者の記録

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 (朝鮮南部の)光州へ出張し試運転列車に乗り込んだこと。人事異動のこと。休日に同僚と京城の動物園や桜の名所、昌慶苑に遊んだこと。仕事に悩み、満州(満鉄)への転職を考えたことも書いている。

 《内地(日本)と異なり、物資は豊かにあります…内地より帰城した人々の話を聞き、京城の有難味(ありがたみ)をつくづく感じました》(17年1月15日付手紙から)。物資が窮乏していた内地と比べて朝鮮はまだまだ恵まれていたのだろう。

 だが、横山は次第に体調を崩し、長い入院生活を余儀なくされてしまう。内地の病院へ転院したが、18年12月死去。まだ26歳、朝鮮開発へかけた若者の夢は、道半ばで終わった。

 めいのたか子(68)はいう。「内地へ戻ってきた叔父は『余命6カ月』と宣告されていたそうです。志を抱いて朝鮮へ渡ったであろう叔父はさぞかし無念だったでしょう。葬儀の香典帳(28日付)には仲良くしていたらしい朝鮮人同僚の名もありました」。カメラが得意だった横山のアルバムには、まだ戦争の影がない朝鮮の写真が多く残されている。部屋には若い朝鮮女性の笑顔の写真が飾ってあった。=敬称略、土曜掲載(文化部編集委員 喜多由浩)

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